東をどり〜洗練された江戸の粋〜
【東をどり】
皆様、おはようございます。
新橋演舞場で年1回開催。(戦後、春秋の年に2回開催もありました)。
今年は92回目となります。
新橋芸者の技芸向上のお披露目の会「東をどり」。
今もなお伝統を守り続ける美しい艶やかな踊りです。
今年も開催時期を迎え、”和のたしな美塾”で行ってまいりました。
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唄三味線、鳴り物もすべて芸者さんがつとめます。
やはり「粋」という言葉がぴったり。
惚れ惚れするような黒のお揃いの衣装。
舞台に立つ芸者さんたちは毎回いろんな踊りで楽しませてくれます。
とにかく艶やかで美しい~~。
江戸時代の1857(安政4)年に銀座8丁目の三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりの新橋芸者。
「柳新二橋」と呼ばれ、柳橋の芸者と双璧をなした時を経て、
今は独り、東京の花街の伝統を守り続けています。
↓ 写真2枚・国府田幾美さん撮影
新橋は幕末安政年間に生まれた花街です。
革新の街として、芸者衆は技芸の向上につとめてきました。
それまで長い伝統を誇っていた柳橋と肩を並べ、
「柳新二橋」と呼ばれるほどになりました。
↓ 写真2枚・真下吉弘さん撮影
新橋芸者は、流行のファシリテーターとして活躍していきました。
吉原の花魁が江戸ファッションのリーダーだったように。
新橋には、政治家、文化人、画家など多くの知識人が集まりました。
板垣退助や伊藤博文も有名どころです。
双璧を競っていた柳橋は、
東京オリンピック招致のために岡場所が埋め立てられ、花柳界から消えていきました。
残念なことです。
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毎年趣向を凝らした舞台。
今年は、傘づくしの舞をたくさん楽しみました。
編笠、菅笠、花笠・・・、日本各地のお祭りの中でも使われていますね。
「傘」は大陸から渡来して日本独自の発展してきたもの。
雨や風をしのぐ実用的な生活用品であるとともに、
伝統工芸品として、舞踊やお芝居の小道具として、使われています。
舞台最後のフィナーレはやはり全員が黒の出衣装で正座している姿は圧巻でした。
美しい舞台、優美な所作、唄三味線・鳴り物も粋。
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夏には若手芸者の「なでしこの会」があります。
ぜひまたご一緒しましょう。
皆様、楽しいひと時をありがとうございました。
日本版「ロミオとジュリエット」〜『蝶の道行』
蝶の戯れ・・。
日本では、虫や蝶をあの世に旅立った人の化身と考えることもありますよね。
それが芸術にまで高められていきます。
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日本版「ロミオとジュリエット」と言われる歌舞伎舞『蝶の道行』。
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二匹の蝶は助国と小巻の化身。
恋人同士であった二人は、北畠家のお家騒動の中で両家が巻き込まれ、
身代わりとなって首を打たれて死んでしまいます。
その二人の首から雌蝶・雄蝶が飛び立って、
もつれ合いつつ花園の上を飛んでゆきます。
蝶たちはやがて助国・小巻の姿となり、美しい花々が一面に咲き乱れる大和の野辺
で、現世で結ばれなかった二人が二人の出会いや思いのたけを語り合うのです。
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「世の中は夢か現か ありてなき蝶となりしが」と置きが唄います。
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後半は、二人とも蝶に化身して狂い、
「修羅の迎えはたちまちに」と、地獄の業火に焼かれる責め場となります。
最後には、「夢に見る草の露」で、二人は静かに重なり合い息絶えていき、
幕となります。
幻想的で、哀しくも美しい舞台です。
義太夫という語りがなお一層切なさを醸し出します。
日本では、「間を合わせる」という言葉がありますね。
舞台は、踊り手と演奏家との息がピッタリ合って、
その心が伝わってきた時、見る側もその外観の美しさだけではなく、
心に響くものを感じるものですね。
演じ手と観客との一体感。それが舞台を楽しむ素晴らしさだと思います。
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10月にも行います。
“和のたしな美”講座
女性限定~和のマナー講座・基礎編~浴衣でアンチエインジング~
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