舟木一夫
Nov 17, 2016

大江戸 八百八町

皆様、おはようございます。

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  男だったら一つにかける

  かけてもつれた 謎をとく

  誰が呼んだか 誰が呼んだか

  銭形平次

  花のお江戸は 八百八町

  今日も決め手の 今日も決め手の

  銭が飛ぶ ♪

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ご存知の方も多いと思います。

舟木一夫が歌った「銭形平次」のテーマ曲です。

 

「花のお江戸は 八百八町」とありますね。

江戸幕府が始まった当初町は三百余町だったものが、

江戸中期には千町を超えていたそうです。
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「隣の町よりも良い町にしよう」という気概をみんなが持っていました。

お祭りの時、神輿を担いだり、山車(だし)を曳いて練り歩く時には、

それぞれの町が張り合っていたそうです。

 

ただ豪華絢爛ばかりを競うのではなくて、

その心根には、

うちの町ではいつも弱い者を助けてよい町づくりをしているという気概をそれぞれに持って、

張り合っていたようです。

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ひもじい思いをしてやせた子がいたり、体が不自由で困っている老人がいたとすると、

「おまえんとこじゃ、弱いもんをちゃんと面倒見てやってねえんじゃないか」と、

軽蔑されました。

 

それぞれ個人的には引っ越しも多い、人の出入りも多い長屋では、それぞれが深く相手の身の上に立ち入らない、そんなルールをつくっていたようですが、

お祭りとなると、話は別なんですね。

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江戸には、「福祉」や「ボランティア」という言葉もなかったそうです。

必要なかったのでしょう。

お金持ちの商人は町のためにお金を出す、力のある人は力を貸す、

病気で困っている人には手助けをするというのが普通にできていたのです。

 

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山車

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今の時代は、どうしても心配事、トラブルなどを自分で抱え込んでしまう、

そうせざるをえない状況がいっぱいありますよね。

住まいも個を確立したものに変わってしまい、隣や地域の住人とのコミュニケーションも

意識がすっかり変わってしまいましたね。

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ほんわかした江戸の町、大江戸八百八町。

「隣は何をする人ぞ」の意味合いや意識が今とはまったく異なっていたのですね。

あこがれちゃいますね。

 

本日もお読みくださってありがとうございました。

 

幸多きに一日になりますように。
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小舟町の提灯

 

 

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