6/24 和の月さろん「衣礼と江戸文化」第二回
昨日の『和の月さろん』(衣礼と江戸文化)第二回
本当に最後まで盛り上がりましたね。
ご参加くださいました皆様、ありがとうございました。
純庵先生の江戸話、面白かったですね〜〜!!
家康公が白魚大好きだったとは。佃と月島のお話。
江戸の繁華街、浅草と両国のお話、そして歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」のお話と役者の屋号。
まあ、話題は多岐にわたり、面白おかしく、笑いの渦でした。
明治時代に築かれた月島は、江戸の街並みを残す佃島の風情を長屋と路地に残しています。
月島の路地文化、この街を文化遺産にしようではありませんか。
議員さんも駆けつけてくださいました。
ありがたいですねえ。
梅田さんの桑茶クッキー、酵素ドリンクにアロマオイル満載の「心身養生香座」。美味しく、リフレッシュ。
菅谷さんの進化する着装の実践「3分間着物」もお見事でした。
懇親会も食べきれないほどの魚仁のお料理などなど。
お買い物してくださった皆様、ありがとうございました。
次回は7月29日の浴衣で楽しむ隅田川花火大会です。
どうぞお楽しみに〜〜!!
花より団子
おはようございます。
お花見の歴史
現在のようなお花見、桜の花が鑑賞されるようになったのは、かなり古く、平安時代からだと言われています。
でも、それはあくまでも高貴な人のものでした。
奈良時代に中国から渡来した梅が貴族の行事として鑑賞されていたのですが、平安時代になると、梅よりも桜への人気が上昇し、お花見と言えば桜の花見に替りました。
元々は、812年に「花宴の節(せち)」として嵯峨天皇が始め、宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられました。その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれています。
「花より団子」
お花見が庶民に広まったのは江戸時代からで、元禄時代に盛んになりました。
そして、享保年間に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山などに桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したのです。
「花より団子」という言葉はこの頃にできました。
花見団子は、江戸時代の庶民から広まったと言われています。
落語の『長屋の花見』や『あたま山』、明治時代に作られた『元禄花見踊り』など、お花見に浮き立つ江戸庶民の様子が生き生きと伝わってきます。
今も使われる「花より団子」は、お花見から生まれた江戸庶民の言葉だったのですね。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
まだまだ花冷えの季節です。暖かくしてお過ごしくださいね。
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当時、3000円で購入しました。
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