亀の甲より年の功
今日は、9月第三月曜日「敬老の日」。
9月15日は「老人の日」として、その後の一週間を「老人週間」として、地域の老人会などでは様々な行事が行われています。
今、60歳でリタイヤと言ってもまだまだお若いですよね。
日本は今後ますます高齢化社会になるわけですから、いかに社会に高齢者の知見を生かすか、その社会づくりにも期待が寄せられます。
江戸時代には、
困ったことがあったら年長者の意見を聞いて解決して、
「亀の甲より年の功」だなあと言って、みんなが年長者を尊敬し、
大事にしました。
年金制度も介護制度もなかったのですが、
若い時に苦労をして、年を取ってから楽しむという余生の生き方は、
みなが抱いていたものでした。
そういうことができるように周囲が配慮するのも江戸庶民の生き方でした。
研ぎ澄まされた五感を持つ老人の危機意識とその経験から得た知識は、
災害に備える危機管理にも繋がりました。
「シワくちゃの年寄りのシワ一本一本に経験と知恵があるんじゃ。」
隠居後、このように年長者の見識も期待されたことから、年長者も努力したのですよ。
将来は、更なる高齢者の多い少子化の時代に入っていくと言われています。
シニア世代にはますますアンチエイジングに励んでいただかなければいけませんね。
心も身体も健やかで、お薬やベッドに頼らない生きがいのある暮らしを望みながら、
シニア世代の皆様のその知恵を、子どもたちのために活用していただけるような、
そんな社会が訪れることを願っています。
三方よし〜感謝の心
江戸時代初期、江戸の経済を支えていたのは近江と伊勢出身の商人たちでした。
近江商人の活動理念を象徴的に表した、
「三方(さんぽう)よし」という言葉がありますね。
「売り手よし、買い手よし、世間よし 」
これは、滋賀大学の小倉栄一郎教授の造語で、『近江商人の経営』の中で書いた言葉です。
原典は、現滋賀県五個荘町の麻布商、中村治兵衛が70歳の時に養嗣子の宗次郎に
あてた家訓『宗次郎幼主書置』にあります。
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商人として栄え、長続きしていくためには、
まずお客様に喜んでいただく品物を提供すること、
そしていたずらに大儲けをしようなどと考えてはいけない、
お天道さまの恵みのおかげという感謝の気持ちとお客様に喜んでいただこうという
気持ちが大切だ、
そうすれば、世間の皆様も応援してくださるに違いない。
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みな仏の化身、みな生かされているという考えのもとで、
互いの商売繁盛を願い、支え合い、分かち合う生き方をした江戸商人の考え方と
相通ずるものがありますね。
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ともすれば、マネーゲームに走るようなビジネスもありの現代です。
お天道さまに見守られ感謝しながら、人と人との触れ合い、温もりを大切にして、
「おかげさま」のこころで商いをしていくという価値観には、ほっとするものがありますね。
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今、中村治兵衛が子どもに書き残した家訓は企業経営の理念だけではなく、
何ごとにも通じるものがありますね。
「おかげさま」
その原点を再考する必要があるように思います。
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江戸の女子力1「お転婆娘」
「清水の舞台から飛び降りる」
清水寺の高い崖に張り出して作られた舞台、
そこから飛び降りるほど、
必死の覚悟で実行するという意味で使われている言葉ですが、
江戸時代には、実際に恋の成就のために飛び降りた娘たちがいました。
江戸中期の記録では、飛び降りた234人の3割が女性だったとのこと。
舞台の下には木が鬱蒼と茂っていたので、
8〜9割は怪我を負いつつも無事だったといいます。
この浮世絵でも、右下に桜の木が見えますね。
娘たちのけなげなまでの勇気には、
ハラハラドキドキさせられますね。
この娘の恋が成就しますように〜〜!
お転婆な娘の一途さは、今も昔も一緒かもしれませんね。
写真:鈴木春信「清水の舞台から降りる美人」(1765年)
雨の表現〜明日の江戸おもしろ講座
「雨」を使った四季折々の表現はいろいろありますね。
「打ち水」のことを「作り雨(つくりあめ)」と呼ぶそうです。
茶の湯では、お客様をお迎えする前に、おもてなしとして玄関に打ち水をしますが、
それも「作り雨」という言葉を使えば更に奥深く感じられますね。
秋の雨は、「秋雨」「秋霖」「洗車雨」「御山洗」「秋時雨」などどいわれます。
錦秋の山に小雨が降り続く・・、そんな情景が目に浮かびますね。
月の見えない日に降る雨は、 「雨月」「雨夜の月」とも呼びます。
日本人の感性には、自然現象として雨を受け入れ、それを美的に表現するものがたくさんあります。現代人が忘れてしまった宝物がたくさんありますね。
明日の夜は、大和楽の代表作『河』を聴きながら、三味線や振りでの川の流れや雨の音などを見ていただこうと思っています。
西洋音楽とは違うものを感じていただけるはずです。
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平成26年11月21日(金)午後7:00~9:00
~隅田川の江戸市井の暮らし~
場所:東京都中央区佃島コーシャタワー37階 なずな塾
お申し込みはこちらから
http://wanotashinami.com/edo/
ゆったり江戸時間
花の雲 鐘は上野か浅草か
松尾芭蕉が深川の芭蕉庵で聞いた時の鐘は、上野の寛永寺の鐘の音だったのか、
それとも浅草の浅草寺の鐘の音だったのか。
人々が時を知るのは、お寺の鐘からだったのです。
現代人は時を刻む時計をいつも手がかりに、時間を気にして暮らしています。
時計を見ながら、いつもいらついています。
江戸時代は、みな時計なんて持っていませんでした。
時の鐘で時刻を知ったのです。
それと、太陽、月の運行で今は何時(なんどき)だと、自分の身体で時を知って
いました。
今から150年ほど前まで、日本人は自分の五感で時間をとらえていたのですね。
そんな感覚を持っていたことに驚くのと同時に、現代人はその感覚を失ってしまったことに、ショックを受けます。
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一時(いっとき)は2時間。
彼女とデートするとき、「深川のお不動様の前で、暮れ六つに会おう」と約束したとすれば、二時間は待っているよというのが普通のことだったのです。
半時は1時間。小半時は30分。
小さい時間の単位が30分ですから、今のように1分、1秒を争うような慌ただしさやプレッシャーはなかったのでしょう。
ゆったりと時間の流れを楽しんでいたように思います。
人生50年の時代に、時間がないなんて焦ることなく、ゆったり構えることができる人生の価値観って、どんなだったのでしょう。
そこに見えてくるのは、温もりや暖かさです。笑顔だったり、涙だったり。
現代人はこんなに長生きしているのだから、
もっともっと余裕をもってゆったりとした生き方ができるんじゃないかと思います。
一体何に追われ、何を追い求めているのか、今までの価値観の見直しをするべき時代
にきたのではないでしょうか。
江戸庶民のように、身も心もダイエット
老子の言葉に、「足るを知る者は富む」という言葉があります。
人生は分相応のところで満足していれば、心豊かに暮らせるということをいっているのでしょう。
江戸庶民は、美味しいものを食べたり、楽しいことをしたりすることに幸せを見い出していたようです。
「宵越しの金はもたねえ」といわれるように、お金を使うことやお金をためることに重きをおくのではなく、その日その日の幸せに心ときめかせて生きていたのですね。
頻発する火事で、家も家財道具も愛する人をも失う経験をしてきたからこそ、その日その日を大事に生きることを大切にしたのでしょう。
江戸庶民の生きるスタンスには三つあります。
余計なものは持たないこと。
くよくよと思い悩まないこと。明日は明日の風が吹く。
出世を望まないこと。出世すれば忙しくなって家族との時間も取れなくなって
しまう。
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人生は分相応。
そこから見ると、現代人は多くのことに気を向けすぎています。
気が付いてみれば、体も心も疲れきった状態になっています。
身も心もダイエット。
心身の断捨離。
やっぱりシンプルな生き方に向かっていけば、日々の何げない喜びがより鮮明に幸せに見えてくるのではないでしょうか。
秋茄子論争
「秋茄子は嫁に食わすな」という諺がありますね。
これはいろいろな説があるそうです。
この背後には、嫁と姑のある意味で二人の仲の永遠の課題が潜んでいるのでしょうね。
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秋茄子が美味しい季節。
秋茄子は、実がしまって美味しいとされていますね。
日本の四季の中で育まれる産物は、季節の巡りの中で味も実も変化させていきます。
走りや旬だけが美味とは限りません。
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初物買いにこだわった江戸時代。
江戸っ子は女房を質に入れてまでも食べたいと、
「初鰹」への熱狂ぶりには目を見張るものがあります。
実際の美味しさと言えば、立夏の頃よりも脂がのって美味しいのは、
「戻り鰹」と呼ばれる秋です。
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さて、秋茄子。その美味しい秋茄子を嫁に食わすな。
美味しいから、嫁なんぞに食わせたくないのか。
いや、これは体を冷やす。
秋茄子には種が少ない。子種がなくなるから、縁起が悪い。
だから、子孫繁栄のためにも嫁の身体をいたわって大事にせよ。
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小林一茶も、その論議に加わって、
「月さすや 嫁に食わすな大茄子(なすび)」と詠む。
巷では、嫁に秋茄子を食わすなと言ってるが、
秋茄子は実に美味しいから、体を冷やさぬように食べ過ぎには注意せよ。
一茶がこの歌を詠んだのは、万人に対するいたわりの思いだったのだろうと、
私は解釈したいのですが、いかがでしょうか。
嫁と姑の仲については、賛否両論でしょうか・・。
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