【七十二候から】53 「霎時施す(しぐれときどきほどこす)」
【七十二候から】53
「霎時施す(しぐれときどきほどこす)」
皆様、おはようございます。
11月になりましたね。
さあっと雨が降ってはすぐ晴れる、そんな頃です。
「初時雨」
まさに、今がその時期ですね。
朝だけ降る「朝時雨」、
夕方降る「夕時雨」、
横なぐりに降る「横時雨」、
夜に降る「小夜時雨」。
天候が変わって時雨が降ることを「時雨れる(しぐれる)」といいます。
同じ雨でも「時雨」という言葉を使うと、何か優しい響きになります。
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西行のことを描いた『時雨西行』という長唄があります。
原曲は能『江口』です。
時雨降る季節、雨に濡れながら行脚している旅の僧西行は、
決してこの時雨の日の出来事は忘れまい、書き写しておこうと、最後に語ります。
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西行は、平安後期歌人・僧です。
出家前は武士(佐藤義清・憲清とも)で、鳥羽上皇の下で北面の武士として仕えていましたが、
その後出家し、諸国行脚し歌を詠みました。
自作の「ねがはくば 花の下にて春死なむ そのきらさぎの望月のころ」
という和歌のとおり、
文治六年(1190)の2月、73歳で入滅したと伝えられています。
『新古今和歌集』に94首、勅撰集の合計で266首が入集する当代第一等の歌人だともいわれています。
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さて、『時雨西行』に戻りましょう。
西行は、和歌を詠み、悟りの境地を得るために諸国を廻国修行して歩いていました。
時雨にあい、江口(大阪・大阪市東淀川)の里を訪れ遊女に一夜の宿を請うところから物語は始まります。
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遊女から一旦は断られてしまいますが、その後西行と遊女とは和歌を詠み交わします。
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「一夜の仮の宿」と「俗世」を掛け合わせて、
この世に執着してはいけないということを遊女は和歌で詠み返します。
西行は静かに目を閉じ心を静めます。
すると、典雅の調べが響き、六牙の象に乗ったまばゆい光を放つ普賢菩薩の姿が見えたのです。
目を開けば、目の前の遊女が語る言葉はこうであったのです。
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「迷いを離れた清浄な境界の大海に、煩悩の風は吹きません。
機縁が生ずれば必ずや悟りの波は立つものです。
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人は執着する心を捨てれば つらい世も恋もなくなりましょう。
人を慕ったり、人を待つことはやめましょう。
恋する気持ちや愛する気持ちを抱いて人を待てば、別れの嵐が吹き荒れます。
花が咲くさま、紅葉していくさま、満ち欠けてゆく月も、さまざまに降る雪も、
すべてはとどまることをせず変わってゆくものです。
過去のことに心を留めておいても何にもならないのです。
執着する心を捨てなさい。」と。
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なんと尊いことであろうか。なんともったいないことであろうか。
目を開けば遊女の姿。しかし、その遊女は、実は普賢菩薩の化身だったのです。
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舞踊では、この遊女江口を初めは遊女として表現し、後にその姿で普賢菩薩になるという変身を演じるところが大変難しい役どころです。
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この普賢菩薩を感得した西行は悟りを得ることができたというストーリー展開になっています。
この時雨の日、西行は人生の大きな転機を迎えたのですね。
一度、是非この舞踊もご覧になってみてはいかがでしょうか。
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西行(菊池容斎画・江戸時代)(ウィキペディアより)