与力
Nov 19, 2016

男の中の男〜八丁堀のだんな

おはようございます。

今はテレビや映画で時代劇を余り見なくなりましたよね。

 

捕物帳で、「与力(よりき)」「同心」という言葉を聞いたことがあると思います。

江戸の町奉行の下で働いていた人たちです。

町奉行といえば、大岡越前や遠山の金さんでおなじみですね。

 

「与力・同心」は、「上司を補佐する」という意味の役職で、

町奉行だけではなく、ほかの部署にもたくさんいたのだそうです。

それが捕物帳で有名になって、町奉行の配下の役人という呼び名になったようです。

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よく「八丁堀のだんな」という呼び名が時代劇で出てきます。

これは、江戸八丁堀に組屋敷があったからなのです。

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明治神宮行灯
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町与力は、江戸の人たちが選んだ「男の中の男」に入っていました。

「男の中の男」とは、与力、力士、火消しの頭の三職です。

 

町与力はの仕事は裁判、同心は捜査をそれぞれ担当し、江戸の治安を司っていました。

 

町与力の定員は50騎、25騎ずつ南北の奉行所に配属され、

それに対して下総(しもふさ)にまとめて一万石の知行所が与えられました。

1騎200石でした。

 

同心の定員は南北50人ずつで合計100人。

幕末の動乱期には140人ずつ合計280人でした。

俸給は14石ほどで、ほかに手当やほうびが与えられたということです。

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太鼓
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100万都市の大江戸で、これだけの少人数の役人たちで江戸を守り抜くことができたのは、

江戸の町の支配がしっかりしていたということも挙げられますが、

同心が使った手先・小者、岡っ引き(御用聞き・目明かし)、下っ引きの働きが

大きかったからだと言われています。

ちなみに銭形平次岡っ引きです。

 

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末端の銭形平次のような人たちの働きが治安の維持に一役かっていたわけです。

 

与力と同心の見た目の違いは、

与力は十手と刀を並べて差していましたが、

同心は必ず後ろに差したということです。

同心は、テレビでは目立つように前に差しています。

 

 

今日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

楽しい一日をお過ごしくださいませ。

 

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Jan 18, 2014

江戸の男の中の男とは

よく「男の中の男」という言い方をしますね。

若いお嬢さんだけではなくて、男も惚れる男のことです。

江戸の人たちが選んだ「男の中の男」には3タイプありました。

(昨日のちゃんこ鍋の)力士、火消しの頭、与力(よりき)の三職です。

与力というのは、町奉行の配下で、同心(どうしん・警察官)の上役です。

 

 

今でこそ、女性も相撲見物ができますが、江戸時代、女性は相撲見物ができませんでした。

明治になってようやく女性も見物できるようになったのです。

 

女性が土俵にあがっていはいけないというのは、その名残ともいわれています。

土俵2
写真は土俵です。

 

相撲は屋外での晴天興行だったそうです。

雨が降れば雨天順延でした。

 

江戸っ子を熱狂させた相撲には、どんな魅力があったのでしょう。

 

力士が「大関」に昇進すると、部屋から引き抜かれて、大名のお抱えになる力士もいたのです。

侍の身分を頂戴して、禄(給料)をもらいます。

侍になるということは、日本差しを許されて、家来も与えられるということです。

大出世ですね。

 

大名を力士を抱えたとなると、自分の面子がかかってきます。

それこそ、土俵上は真剣勝負となります。

その熱狂ぶりも半端じゃなかったのですね。

相撲観客席                 観客席

 

刀を差している行司もいました。

それは対戦する力士のどちらも大名のお抱えの場合だと、自分が間違った判定を下したら、大名の名誉にかかわるということで、

間違えたら切腹して謝るという意味で刀を差していたというから、

観客も判定者も真剣勝負だったのですね。

 

男も惚れる男の中の男、力士。

いかがでしたか。

 

やはり大関や横綱は、今でもみんなの憧れ。

品格もある力士には憧れちゃいますね。

土俵1                 野外の土俵

 

 

 

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