【七十二候から】52 「霜始めて降る」
【七十二候から】52
「霜始めて降る(しもはじめてふる)」
皆様、おはようございます。
「霜降」の初候。
霜降は、朝夕にぐっと冷え込み、霜が降りる頃のことです。
山々が少しずつ葉色が秋色の変わり、落葉し始めています。
富士山に初冠雪が見られましたね。
北海道でも初雪のお知らせが舞い込んできました。
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うっすらと大地の上に、
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白い雪にうっすらと覆われた赤い薔薇の蕾、
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郷里の宮城では、10月15日が八幡様の秋祭りです。
稲作の神様を春にお迎えし、秋の実りに感謝と報恩の意を込めて、
山に帰っていかれる神様にお祭りを捧げるのが秋祭りですね。
昨今ではこのお祭りも取りやめになったということを聞き、とても寂しい思いがしています。
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毎年この15日にコタツの用意をしたものです。
本格的な寒さの到来で、
こたつやストーブがもう手離せない時期になるのです。
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隙間風の多い古い木造家屋ではこれからの寒さ対策にはなかなか厳しいものがあります。
霜が降りるときには、農作物の生育には特に注意して見ておきたいものですね。
「そぞろ寒」と呼ばれる、じいんと寒さが肌にも体にも感じる時節ですので、
外出時には、スカーフやマフラーなどを持って、上着など暖かくなるものを着て行きましょう。
どうぞお気をつけてお過ごしください。
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【七十二候から】51 「蟋蟀戸にあり(きりぎりすとにあり)」
【七十二候から】51
「蟋蟀戸にあり(きりぎりすとにあり)」
皆様、おはようございます。
きりぎりすが戸口で鳴く頃です。
「蟋蟀」はきりぎりすか、こおろぎか、諸説あるようです。
日本人ならお馴染みの「虫の声」という唱歌がありますね。
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あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
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きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
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「尋常小学読本唱歌『虫のこえ』」ウィキペディアより
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実は、
「きりきりきりきり きりぎりす」から
「きりきりきりきり こおろぎや」に改められた経緯があります。
1932年の「新訂尋常小学校唱歌」にて、「きりぎりす」はこおろぎの古語であったというのです。
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きりぎりす夜寒になるを告げがほに 枕の下にきつつ鳴くなり (西行)
この西行の和歌が詠まれた平安時代には、
「きりぎりす」は「こおろぎ」のことを指していたといいます。
このこおろぎは、「つづれさせこおろぎ」のことで、
こおろぎの鳴き声は万葉集にも歌われていたようです。
平安時代には、「蟋蟀」は「つづれさせこおろぎ」のことでした。
リーリーリーと、衣の綴れを刺せという音を聴いて、平安歌人は歌を詠みました。
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また、「蟋蟀」はきりぎりすを指し、別名を「機織り虫」とも呼ばれます。
鳴き声が「ギーッチョン、ギーッチョン」と、機織りのように聞こえるからだとか。
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ところで、七十二候の「蟋蟀戸にあり」のルーツは、中国最古の詩篇『詩経』(紀元前11~6世紀)といわれています。
農民の暮らしは「七月に野に在り、八月は軒下に在り、九月は戸に在り、十月は我が床の下に入る」と、詩に詠まれているのだとか。
有名な杜甫や白居易が、蟋蟀は秋になると暖を求めて家や寝床に近づくことを漢詩に詠みました。
それが日本にも影響を及ぼしました。
虫の音は晩秋の寒さの中で弱々しく鳴くからこそ味わいがあるものだと。
盛りを過ぎて、終わりゆくものへの哀れを感じる侘び寂びの思いが日本人にはぴたりと合ったのでしょうね。
名残りを楽しむという日本人の感性は、虫の音だけではなく、
食でも着物でも茶道でも、いろいろな美の世界で取り入れられていますね。
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【七十二候から】53 「霎時施す(しぐれときどきほどこす)」
【七十二候から】53
「霎時施す(しぐれときどきほどこす)」
皆様、おはようございます。
11月になりましたね。
さあっと雨が降ってはすぐ晴れる、そんな頃です。
「初時雨」
まさに、今がその時期ですね。
朝だけ降る「朝時雨」、
夕方降る「夕時雨」、
横なぐりに降る「横時雨」、
夜に降る「小夜時雨」。
天候が変わって時雨が降ることを「時雨れる(しぐれる)」といいます。
同じ雨でも「時雨」という言葉を使うと、何か優しい響きになります。
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西行のことを描いた『時雨西行』という長唄があります。
原曲は能『江口』です。
時雨降る季節、雨に濡れながら行脚している旅の僧西行は、
決してこの時雨の日の出来事は忘れまい、書き写しておこうと、最後に語ります。
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西行は、平安後期歌人・僧です。
出家前は武士(佐藤義清・憲清とも)で、鳥羽上皇の下で北面の武士として仕えていましたが、
その後出家し、諸国行脚し歌を詠みました。
自作の「ねがはくば 花の下にて春死なむ そのきらさぎの望月のころ」
という和歌のとおり、
文治六年(1190)の2月、73歳で入滅したと伝えられています。
『新古今和歌集』に94首、勅撰集の合計で266首が入集する当代第一等の歌人だともいわれています。
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さて、『時雨西行』に戻りましょう。
西行は、和歌を詠み、悟りの境地を得るために諸国を廻国修行して歩いていました。
時雨にあい、江口(大阪・大阪市東淀川)の里を訪れ遊女に一夜の宿を請うところから物語は始まります。
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遊女から一旦は断られてしまいますが、その後西行と遊女とは和歌を詠み交わします。
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「一夜の仮の宿」と「俗世」を掛け合わせて、
この世に執着してはいけないということを遊女は和歌で詠み返します。
西行は静かに目を閉じ心を静めます。
すると、典雅の調べが響き、六牙の象に乗ったまばゆい光を放つ普賢菩薩の姿が見えたのです。
目を開けば、目の前の遊女が語る言葉はこうであったのです。
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「迷いを離れた清浄な境界の大海に、煩悩の風は吹きません。
機縁が生ずれば必ずや悟りの波は立つものです。
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人は執着する心を捨てれば つらい世も恋もなくなりましょう。
人を慕ったり、人を待つことはやめましょう。
恋する気持ちや愛する気持ちを抱いて人を待てば、別れの嵐が吹き荒れます。
花が咲くさま、紅葉していくさま、満ち欠けてゆく月も、さまざまに降る雪も、
すべてはとどまることをせず変わってゆくものです。
過去のことに心を留めておいても何にもならないのです。
執着する心を捨てなさい。」と。
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なんと尊いことであろうか。なんともったいないことであろうか。
目を開けば遊女の姿。しかし、その遊女は、実は普賢菩薩の化身だったのです。
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舞踊では、この遊女江口を初めは遊女として表現し、後にその姿で普賢菩薩になるという変身を演じるところが大変難しい役どころです。
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この普賢菩薩を感得した西行は悟りを得ることができたというストーリー展開になっています。
この時雨の日、西行は人生の大きな転機を迎えたのですね。
一度、是非この舞踊もご覧になってみてはいかがでしょうか。
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西行(菊池容斎画・江戸時代)(ウィキペディアより)