江戸の将軍も長屋の熊さん八つぁんも食べたお雑煮とは
皆様、新年明けましておめでとうございます。
年末に準備したお餅。
おせち料理とともにお餅をいただくのが日本の習わしです。
お餅を美味しく召し上がっていますか。
お正月のお餅は、
都会では餅屋(米屋)に注文したり、
スーパーでパックになっているものを買ってきたりします。
昔はペッタン、ペッタンとおじいちゃんが餅をついて、
おばあちゃんがそばで水をひょいと入れていたものです。
あの音は心地よくって、つきたての餅を納豆餅にしたり、
あんこで食べるのが美味しかったです。
ふかしたての餅米も、食べると胃を悪くするよと言われながら、よくつまみ食いしました。
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かるがると上る目出度し餅の杵 高浜虚子
お正月にいただくお餅には、格別の思いがありますね。
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今と違って、江戸の人たちは前の年の12月15日までに餅つきの申込みをしていました。
また、この日までに予約をしないと、お正月の餅は買えなかったということです。
江戸も初めは関西のように丸餅でしたが、
せっかちな江戸っ子は、一つ一つ丸める手間を嫌って、一挙にのして、
包丁で四角く切るようになったようです。
長屋は一つの共同体です。
大家さんから見れば、店子は子ども同然。親代わりのようなものです。
門松だけではなく、お正月用品もおせち料理も共同購入しました。
大家さんの采配で、長屋の住人全員協力したそうです。
年末または年始に、大家さんは店子にお年玉を配りました。
それはお金ではなくて、鏡餅でした。
鏡餅が丸い形をしているのは、お年玉の玉に似ているとか、
健康であるために心臓の形に似せたということです。
餅つきができるのは江戸市中では大きな商家だけで、
庶民は大家さんにもらった丸餅を台所に飾って正月をお祝いします。
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江戸のおせちもお雑煮も質素でした。
おせち料理は日持ちのする煮しめで、酒の肴でした。
お雑煮もシンプルで、
醤油のおすまし汁に、
焼いた四角い餅と小松菜に油揚げ(または鶏肉かかまぼこ)が少しだけでした。
どうも徳川家康公が
「貧しかった頃を忘れずに、年の初めにはこれを食べよう」と言ったことに始まって、
代々将軍家ではこのお雑煮を食べていたそうです。
江戸中もそれにならって、同じようにシンプルなお雑煮を食べていました。
諸国から大勢の人がやってきて集まっていた江戸で、それぞれの郷土料理としてのお雑煮も食べていたようですが、
一方で、将軍と長屋の住人が同じ質素な小松菜入りのお雑煮を食べて初春を祝していたなんて、
ちょっと微笑ましい光景ですね。
ちなみに小松菜は、小松川(現:東京都江戸川区)から、五代将軍綱吉公が命名したということです。
皆様も、お雑煮をたんと召し上がれ。