素敵人の紹介
Dec 20, 2013

風呂吹きの煮上がる親星子星出て〜化石〜

皆様、おはようございます。

 

風呂吹きの煮上る親星子星出て  村越化石

 

大根を分厚く切って昆布だしで柔らかく煮て、胡麻味噌などをかけて食べる「風呂吹き大根」。

今夜はいかがですか。

カブや冬瓜にも応用できますよね。

大根は面取りして、厚切りにして、ふっくらと茹で上げ、

大根そのものの味を味わうのが一番の調理法です。

 

ふう〜っ、ふう〜っっと、吹きながら食べるのは、この寒い冬、格別ですね。

 

 

 

「風呂吹き」という名前は、漆器を乾燥させるときに大根の茹で汁を風呂(乾燥室のこと)に

吹き付け、残りの大根を利用したことに始まるそうです。

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この俳人村越化石は、静岡県藤枝市出身。

「魂の俳人」と言われている人です。

ハンセン病になり、後に昭和24年大野林火に師事し、

今では俳句界のあらゆる賞を受賞しているということです。

こちらもどうぞご覧くださいね。

http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse_manabu_bungaku_kaseki.html

 

師の大野林火が化石に次のような励ましの言葉を与えました。

「見えないから何もできないと思ったら、生きている価値がない。

昔は見えたんだから、そんなことは苦にしないで、心の俳句を作りなさい。」

 

 

 

 

第二句集「山国抄」(昭和49年)より。

雁渡し山脈力集め合ふ

 

昭和57年、第三句集「端座」で蛇笏賞を受賞(昭和57年)

郭公に膝向けいのちはるばるす

落ち葉踏み天を鏡と思ひけり

 

 

 

師の大野林火は亡くなる前年まで、

化石のいる栗生楽泉園まで足を運んで化石を励まし続けました。

そこは長野県草津のそばです。

 

「はじめから甘えた句はだめだ。

自分をたえず見つめて、俳句の中心には自分というものがはっきりなくてはならない。

誰の句でもない自分の句を作りなさい。」

 

平成12年、故郷に句碑が建てられたので、村越化石は60年ぶりに帰省しました。

 

 

望郷の目覚む八十八夜かな

 

 

師林火の言葉は、健常者の私ですらとっても励まされます。

 

 

私の郷里のそばには、ハンセン病患者の療養施設があります。

 

 

いつからあったのかは分かりませんが、昔からあり今もあります。

 

前小泉首相の時代に国がハンセン病患者の補償を認めたことは、

私にとっても大きな喜びでした・・・。

 

 

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Nov 23, 2013

はかなくも強き女流作家 樋口一葉

今日は勤労感謝の日ですが、樋口一葉忌でもあります。

明治の女流作家、五千円札でおなじみですね。

享年25歳(明治29年)。

 

貧しい下町の庶民生活の悲哀や、女の悲しみを叙情的な擬古文でつづりました。

「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」などロマン的香りの高い秀作を

次々と発表したのです。

 

 

彼女にはこんなエピソードがあります。

 

一葉には、父親が将来を見込んで決めた婚約者渋谷三郎がいました。

 

一葉の兄則義が父を後見にして相続戸主となりましたが、事業に失敗し、

多額の借金を残して死去します。

その後父が亡くなり、一葉は樋口家の戸主となります。

 

多額の借金を抱え、戸主となった一葉。三郎を婿養子とする結婚に、

後日仲介人が法外な結納金を要求してきました。

一葉の母は立腹してこの請求を断り、破談になったということです。

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栗城さん15

 

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一葉の父の見込みどおり三郎はどんどん出世していきます。

出世していく三郎に対し、困窮していく一葉は日記の中でこんなことを書いています。

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「思へば世は有為転変也けり」

「此人のかく成りのぼりたるなんことに  浅からぬ感情ありけり」と。

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一葉の思いはいかばかりか、押さえた表現の中に、

何とも言えない思いが込められているように思います。

ぐっとこらえた強さを感じます。

 

創作活動はわずか4年にすぎなかったものの、

その中で、自らの経験をも生かしながら、

女性らしい微妙な感情を細やかに描いたのですね。

また読み返してみたくなりました。

栗木さん12

 

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Nov 23, 2013

一休さんは最後までとんちで楽しませた人

11月21日は、一休和尚の命日です。

享年88歳(1481年)。

室町時代の臨済宗の僧。奇行の主としても知られています。

 

でも、テレビアニメやドラマでは、頓知の「一休さん」として知られていますよね。

 

 

一休が8歳のときの「このはし渡るべからず」や、

将軍義満に屏風の虎の捕縛を命じられ「さあ、追い出してください」と

屏風の前で綱を持って構え、

周囲をぎゃふんと言わせた頓知話がありますね。

 

 

遺言の際のこんな逸話もあります。

「この先、本当に困ることがあったら、これを開けなさい」と言い遺して、

一通の封書を弟子に渡したそうです。

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何年かたって、寺に大変な難問題が持ち上り、

どうしようもなくなって弟子たちが集まって、その封書を開いてみると、

そこには「心配するな、なんとかなる」と書いてありました。

 

その瞬間、弟子たちはみな大笑いの渦の中、落ち着きと勇気と明るさを取り戻して、

難しい問題を解決できたということです。

 

さすが一休さんですね。

当時としては88歳という歳まで長生きした、豪放磊落な人物だったのですね。

 

「これは大変、一大事」と思った時、一休さんのように、

「絶対大丈夫、心配するな、なんとかなる」と

自分に言い聞かせて乗り越えていきたいですね。

銀杏紅葉

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Nov 20, 2013

碧い海のように輝く柴本一美さん

碧い海のように、きらめく星のように。

いつも輝く女性でいたい。

アロマテラピスト柴本一美さんのように。

 

柴本一美さんをご紹介します。

 

ブルーカラーがとてもよくお似合いの方です。

 

ご主人の転勤で札幌に行かれましたが、東京から離れてからのほうが、ひと回りも
ふた回りも大きくなられたようにお見受けします。

 

いつもふうっと、ため息の出るような美しいブログ・・

碧い海に吸い込まれていくようです。

 

画面を触ると星がきらきらとゆらめき落ちて・・・。

彼女の美的センスが光っています。

ああ、綺麗・・。ロマンティック・・。

 

天然のハーブオイルと精油をブレンドした貴女だけのオーダーメイドのアロマオイルを作ってくれます。

もうそのオイルでマッサージされたら、身も心もとろけそうです〜〜。

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彼女の強みは、オンライン講座でアロマテラピストを育成できること。

これは数少ない資格なのですよ!

 

主婦として、ワーキングウーマンとして日々時間がない貴女。

 

彼女も自分が体験してきた道ですから、

貴女の大変さ、苦労がよく分かります。

 

貴女を大らかに優しく導いてくれることでしょう。

 

 

貴女も、素敵で輝く女性を目指して、もっともっと磨きをかけていきませんか?

アロマテラピーのオンライン講座12月開講のご案内

是非、こちらもご覧ください。→ こちらをクリック

 

 

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Nov 20, 2013

今日も小林一茶を偲ぶ

小林一茶(1763~1827)の人生は平坦なものではなかったのですね。

3歳で実母と死別し、8歳から継母に育てられました。

この継母は冷たい女性で、一茶は随分いじめられたそうです。

父親がその一茶の姿を見ていられなくなって、15歳のときに、彼を江戸に出したのです。

 

江戸に出て、10年間ぐらいの一茶の行状については、ほとんど分かっていません。

おそらくこれといった職にもつかず、放浪生活のような状態で俳諧に専念したのではないかと言われています。

 

25歳のころ、葛飾派の竹阿の門に入り、竹阿の没後、26庵菊明と号して判者となりました。

29歳で初めて帰省。ついで父の代参として京に上り、また西国を旅しました。

40歳のとき、父の死にあって、再び帰省。

父の死後、十数年にわたり、遺産を巡って異母弟とあらそいました。

その後ようやく解決して、故郷に安住の地を得て、52歳で初めて妻を得ました。

 

秋ドライフラワー

彼は幼児期から逆境に育ったため、複雑な性質をもち、

俳諧も多くは自ら学びとったものだったようです。

俗語や方言を駆使して、強者への反抗と弱者への共感を織りなす

人生詩的傾向の強い句を多く作ったのですね。

 

こうして一茶の生涯を見てみると、彼の作った句がさらに愛おしくなりますね。

 

夕月や 鍋の中にて 鳴くたにし

能なしは 罪もまたなし 冬籠

 

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Nov 19, 2013

小林一茶の命日を迎えて

今日は、俳人小林一茶(1827年)の命日です。

 

ゆかりのある寺や場所で法要が営まれるほか、句会が催されます。

一茶は信州柏原出身。

早くに母親を亡くし継母に育てられ、不遇な少年時代を過ごしました。

15歳で江戸に出て、流浪しながら俳句を学んだのです。

 

彼は52歳で結婚。

4人の子を得ましたが、次々に妻子を失いました。

 

加えて、近所のもらい火で家を焼かれ、不幸な晩年を送りました。

 

65歳の生涯を仮寓の土蔵で閉じたのです。

 

彼の句は、恵まれなかった境遇から生まれたもので、

弱いものや貧しいものへの同情を、巧みな俗語でうたいました。

 

「おらが春」「父の終焉日記」などの句集があります。

 

自らの経験から、優しさの眼差しに溢れています。

 

 

夕月を 取てくれろと なく子哉

露の世は 露の世ながら さりながら

ともかくも あなた任せのとしのくれ

 

短い句の中に、一茶の全人生が込められていると思うと、感慨深いものがあります。

経験ほど尊いものはないのですね。

句をよむ人も悲しい経験をしてこそ、その気持ちが痛いほどよく分かるものです。

 

俳句に込めた一茶の思いを今日は味わってみたいです。

 

 

紅葉一枚

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Nov 7, 2013

命の讃歌〜ソプラノ歌手下垣真希さん〜

楽天の悲願の優勝、おめでとうございます〜。

文化の日の今日、いかがお過ごしでしたか。

ソプラノ歌手の 下垣真希(Maki Shimogaki)さんが、

11月2日、「命の讃歌」と題して、

東京のサントリーホールでピアノリサイタルをなさいました。

日本のこころの歌をたっぷりと聴かせてくださいました。

 

 

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ビロードのような美しい歌声。

知的で優しい語り。

着物のデザインのような紅葉などをあしらった美しいドレス。
肌も綺麗です〜。

ジャー・パンファンさんの心に響く二胡の音色。

下垣さんと息がぴったり合う北川美晃さんの、

優しいお人柄がにじみ出ているようなピアノの調べ。

 

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「赤とんぼ」「ふるさと」「浜辺の歌」「砂山」「荒城の月」・・、
「里の秋」「母さんの歌」「千の風になって」

 

 

リストのピアノ曲「愛の夢」に下垣さんご自身が作詞して、

東日本大震災で亡くなった方へ鎮魂歌として捧げました。

 

平和への祈りを込めた「アメイジング・グレイス」。

 

もう胸が熱くなって、何度も涙がとめどなく流れ落ちました。

 

「アメイジング・グレイス」を聴きながら、

私の目の前には、美しい緑の水田が見えてくるのです。

 

ふるさとの自然よ・・永久にあれ・・・。

 

下垣さん、素晴らしいピアノリサイタル、ありがとうございました。

また次回も楽しみにしていますね〜。

美しかったですよ〜!

 

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Aug 23, 2013

今、小泉八雲を想う

皆様、おはようございます。

『耳なし芳一』や『怪談』などを書いた明治時代の作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
彼は、日本の松江に住んで、日本に魅了されていきました。

 

アイルランド人の父とギリシャの母を持ち、やり手の新聞記者から当時新進気鋭の作家としてニューヨークで活躍していた人でした。

日本人から見たらごく普通のこととして映るものに、彼は感動していきます。

 

橋を渡る下駄の音。
荷車の音。
みんな美しい。

 

近代化の波に乗って行く日本に対して、彼は言います。

 

「単純、温和、丁寧、親切、ほほえみ、幽霊、
そんなものを愛する人間を、もう日本はいらないのです。

 

日本は機械と科学の道を行き、
傲慢で利己的な、
固くて乾いた魂しか持たない人間でいっぱいになるでしょう」

 

 

近代化の道を突き進みながら、日本が置き去りにしてきたものを、
小泉八雲は、しっかりと捉えていました。

 

今時空を超えて、その心を取り戻してもいい時にきていると、思いますね。

 

今日も素晴らしい一日でありますように。
お元気にお過ごしくださいね。行ってらっしゃ〜い。

 

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Aug 18, 2013

芭蕉の「軽み」

皆様、おはようございます。

今週は、お盆の行事や終戦記念日を迎え、

祖霊や英霊への思いをさらに深く胸に刻まれたことと思います。

「夏草や  兵(つわもの)どもが  夢の跡」 (松尾芭蕉)

芭蕉が旅をした岩手県平泉で詠んだ一句。

いくさの虚しさを詠んだのですね。

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芭蕉がこの『おくのほそ道』という漂白の旅をするきっかけとなったのは、

江戸の大火や母親の死を体験したことにあったそうです。

形あるものは決して永遠ではないという「諸行無常」の境地を実感し、

また、安らかで自然な生き方を唱える老荘思想へも共感していったということです。

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出会いと別れを繰り返しながら、旅の中に俳諧の題材を求めて、

漂白の旅に出た芭蕉。46歳でした。
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漂泊の旅の後、「不易(ふえき)流行(りゅうこう)」という思想に辿り着きました。

いつの世にも変わらないものと、

時代とともに変化するものは表裏一体のものなのだという考え方です。

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中禅寺金谷紅葉
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最後に芭蕉は、「軽(かる)み」という独自の新しい俳風に到達します。

そして、日常性に即しながらも、

心の底から心情が滲み出てくるようなものを俳句をあらわしていきました。

人との出会いや別れを経験し、

反俗の思いを抱いていた芭蕉が最後に辿り着いたのは、

日常の生活の中にこそ、日常を越えるものが存在するのだということだったのでしょう。

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私はとても共感できます。そうありたいと思っています。

皆様、今日という一日をお楽しみくださいね。

ゆったりと、お過ごしくださいませ。

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金谷の灯篭

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