わが町月島
Jun 27, 2017

水路交通から陸路交通へ

月島って、どこにあるんだろうか。

上京してきた二十歳前後の私はそれまで月島という地名を聞いたことがありませんでした。
 
八丈島とか、どこか遠くにあるのかな。
 
船で通勤してくるのだろうか・・。大変だなあと思ったものです。
 

月島は明治25年(1892)に月島の渡しが設けられ、昭和15年(1940)に勝鬨橋の開通に伴って、渡し舟は廃止されました。

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昭和63年(1988)に営団地下鉄有楽町線月島駅が開通した時には、本当に画期的でした。
 
この開通の日が来るのを首を長くして待っていたものです。
 
それまで都バスまたは日比谷線築地駅まで歩いて行って、地下鉄に乗って職場まで行っていたものですから、
 
それは本当に嬉しい出来事だったのです。
 
その後平成12年(2000)に都営地下鉄大江戸線月島駅の開通によって、飛躍的に月島駅を利用する乗客が増えました。
人の流れが大きく変わったことを実感しました。
 
知らない人が路地を行き来するようにもなり、ちょっと怖いなあと思うこともありました。
 
でも、路地に入ると、住まいは静かなのです。このサロンを訪れる方々も皆さんそうおっしゃいます。
 

江戸時代から続いた佃の渡しも、昭和39年(1964)に佃大橋の開通に伴って廃止されました。

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江戸時代の交通の屋台骨であった水路交通から、橋を利用する陸路の交通へと、
 

ここ佃島、月島はまさに実生活に直結した形で交通手段が変貌してきた土地なのです。

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Jun 26, 2017

わが町月島〜築島125周年〜

10年前にNHKで朝の連続テレビ小説『瞳』が放映されました。
 
「月島が出てるねえ」
「懐かしいねえ」と、
 
あの頃は母や親戚から電話がかかってきたものです。
 
しかも、瞳ちゃんの住んでいたところは、我がサロンの辺りという設定でした。
よく観光客に声をかけられたものです。
 
「あの〜、この辺に瞳ちゃんのうちはありませんか」と。
 
あれは架空の番地だったのです。
 
佃島の住吉さんのお祭りはここ月島でも相当の熱の入れようです。
 
3年に一度の熱く熱く燃える夏です。
 
ドラマの中でも八角神輿を担ぐ威勢の良さが描かれていました。
 

命がけの神輿担ぎ。

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家康の時代に、摂津国佃村から森孫右衛門一族と漁民33名がやってきたのが佃島造成の始まりです。
 
海の神様として漁師の信仰を集めた住吉の社から分祀されたのが住吉神社です。
 

歌川広重の江戸名所百景「佃しま住吉乃祭」にも住吉神社の祭礼の幟が描かれているほど、歴史のあるお祭りです。

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月島は明治25年に築島され、今年で125年目を迎えます。
 
今この月島も大きな変貌を遂げようとしています。
 
それは中央区の再開発の大波です。
 
関東大震災後に建てられた長屋と路地は、
 
東京大空襲にも遭わずに、奇跡的に残っている町並みです。
 
京都の町並みのように、碁盤の目状になっているところは、日本広しといえども、京都と月島しか存在しないといいます。
 

消えゆくこの町並みを、今「路地文化継承」という視点から改めて考え直してみたいと思います。

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