和のたしな美ぶろぐ
Sep 2, 2013

寺子屋の師匠は親同然

 

江戸商人がお金を出し合って作った寺子屋。
そこでは、「読み書き算盤」のほかに、「しぐさ」の学習を重視したのです。

親に代わって寺子屋の師匠が子供たちに教育しました。
年齢は40歳以上の男女。実学上、バランス感覚のいい年齢を選んだそうです。

師匠が入門してきた子供たちに最初に挨拶する言葉は、

「あなた方のお父さん、お母さん、皆さん立派な方々である。

そして、商いが繁盛して結構でござる。

そのためにご多用で、貴公らに読み書き算盤をお教えになれない。

よってもって拙者がその役をおおせつかった。

だから、貴公の親御さんに接するつもりで、拙者にも接しよ」と。

親が教えるべきところを代理人として教えるのだから、師匠は親と同じように「やっぱり偉いんだなあ」という認識が芽生えたというのです。

今の学校の先生は父母に気を遣い、入学式では、

「今日から皆さんはピカピカの一年生ですから、一生懸命に勉強して、偉い人になってください」としか言わないようです。いかがですか。

親も子も、教育に取り組む姿勢には今とは大きな違いがあったのですね。
江戸の人々の考え方、大いに参考になりますね。

 

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Sep 2, 2013

寺子屋の入学試験

皆様、おはようございます。

相手を尊重し、相互扶助を大切にした江戸庶民の暮らし。
この普及に大きな役割を果たしたのが寺子屋です。

江戸商人は、日々の商いがあるため、お金を出し合って寺子屋を開きました。

師匠に親代わりになってもらい、江戸の寺子屋で重視したのは、

「読み書き算盤」のほかに、生きる知恵の学習でした。

江戸寺子屋では入学試験がありました。一種のエリート校です。

この入学試験は、6歳の陰暦6月6日(新暦7月)。
合否の決め手は、2時間じっとして師匠(人)の話を聞けるかどうか。

「暑さ我慢会」と言われたそうです。

では、どんな学習を重視したかというと、

自然への感謝を元にした、自然科学(生物学、心理学、天文学、科学など)につながるようなことです。

例えば、朝顔の水遣りから自然のメカニズムや自然との共生を説きました。

そして、日常茶飯事の振る舞いや人を見抜く力、災害時の身の処し方など、

広い視野をもって物事を見ることで、自然や周囲の人々に生かされていることを教えたそうです。

この地球の中での生きとし生けるもの、すべてつながっているという教えですね。

また、教室では、他人の意見を否定せずに自由にアイディアを出し合って考えを深めたり、

設定した役割を演じてコミュニケーション能力を身につけていきました。

現在人材教育法として使われているロール・プレイングなどを、

既にこの教育の中に取り入れていたとは、まさに実践の学問ですね。

いかがですか。

現代人も学びたい魅力満載の教育。

自然への感謝に始まり、生きとし生けるものはみなつながっているという生き方を学び、

相手を尊重するコミュニケーション能力を身につける教育。

これこそ、真の教育ですね。

 

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Sep 2, 2013

『曾根崎心中』〜大阪の観客が見たものは〜

人形浄瑠璃 文楽『曾根崎心中』

元禄16年(1703)4月。大坂は天神の森で情死がありました。

男は内本町の醤油屋の手代で徳兵衛。女は北の新地の遊女でお初。

それぞれ互いに結婚話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、

それゆえの心中でした。

大坂ではこの心中事件が人の口の端にのぼるほど、噂は広がっていたのです。

近松門左衛門は、この大事件をそのまま同名で浄瑠璃にしました。

心中事件から15日後、大坂道頓堀の竹本座で、竹本義太夫の語りで上演されました。当時、現代劇なんて、見たことがない時代。
空前の大当たりとなりました。
以後、この「世話物」というシリーズが続々と生まれていきます。
この「世話物」の主人公は、金も力もない普通の庶民の男たち。
大坂の人々は、一体どんな思いでこの『曽根崎心中』を観たのでしょうか。

女性、殊に遊女は男性を救うという観音信仰がありました。

出だしの部分は「観音廻り」。お初が大坂33か所の札所廻りをする道行から始まります。観音様がお初を救い、お初が徳兵衛を救うという暗示が込められています。

次に、二人が死に至るまでのいきさつや事実が語られます。
最後に、再び二人が死への旅路の道行をたどるという構成です。

観客はこの心中事件のあらましを知っています。食い入るように見たことでしょう。

舞台にまず、お初が現れ、観客は観音様の到来を見を見ます。
加えて、お初の人形を通して、生身の人間の霊魂(憑坐・よりまし)を見るのです。(現在、この部分は上演されていないそうです。)

次に、二人の死を決意するまでの事実や心の動きを知ります。
観客は、二人の人生を見て、嘆き、悲しみに浸り、カタルシスをも体験します。

最後に、二人が死へと旅立つ姿を、生々しく再現されるのを見ます。

観客はこのいきさつの一部始終を見て、中には数珠を手に持って成仏を祈った人もあるほどでした。

この作品は一つの宗教儀礼としての貴重な作品とも言われているのです・・。

是非、機会があれば、ご覧になってみてください。

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Aug 24, 2013

縁かいな

皆様、残暑お見舞い申し上げます。

夏の納涼(すずみ)は両国の

出船、入船、屋形船(やかたぶね)

揚がる流星 星降り(くだり)

玉屋が取り持つ 縁かいな

        〜端唄 『縁かいな』

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明日もどうぞご覧くださいね。

粋な土曜日をお過ごしくださいませ。☆

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浴衣と日傘

 

Aug 23, 2013

今、小泉八雲を想う

皆様、おはようございます。

『耳なし芳一』や『怪談』などを書いた明治時代の作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
彼は、日本の松江に住んで、日本に魅了されていきました。

 

アイルランド人の父とギリシャの母を持ち、やり手の新聞記者から当時新進気鋭の作家としてニューヨークで活躍していた人でした。

日本人から見たらごく普通のこととして映るものに、彼は感動していきます。

 

橋を渡る下駄の音。
荷車の音。
みんな美しい。

 

近代化の波に乗って行く日本に対して、彼は言います。

 

「単純、温和、丁寧、親切、ほほえみ、幽霊、
そんなものを愛する人間を、もう日本はいらないのです。

 

日本は機械と科学の道を行き、
傲慢で利己的な、
固くて乾いた魂しか持たない人間でいっぱいになるでしょう」

 

 

近代化の道を突き進みながら、日本が置き去りにしてきたものを、
小泉八雲は、しっかりと捉えていました。

 

今時空を超えて、その心を取り戻してもいい時にきていると、思いますね。

 

今日も素晴らしい一日でありますように。
お元気にお過ごしくださいね。行ってらっしゃ〜い。

 

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Aug 23, 2013

黄金の国ジパング

皆様、おはようございます。

田んぼの稲が少しずつ黄金色になって、

今月の末にはもう稲刈りを迎えるという地域があるのですね。

友人の宮澤弘明さんのところでは、あともう少しということで、

太陽と天候の具合を見ているところです。

稲穂

黄金の国ジパングという言い方は、田んぼの黄金色に輝くさまを言っているのではないかと、

思ってしまうほどです。

秋の収穫後にいただく新米ご飯は、本当に美味しいですね。

日本人に生まれて良かったと思う瞬間です。

おにぎりと田んぼ

お米の受粉のこと、意外と知らない人が多いかもしれません。

私の郷里米どころ宮城でも、今頃、イネは白い花を咲かせていると思います。

イネの花が開いているのは、午前中のたった2時間ほど。

しかも、受粉は10分から20分と言われています。

もちろんイネの花はいっせいに咲くのではなく、

穂の先のほうから下に向けて順に5日間くらいかけて咲くそうですが、

この受粉期間の短さには驚きます。

最も大切なこの時期に、台風がやってきたり、海に近いところでは潮の被害があったりすると、

イネは受粉できず、お米ができなくなります。

秋の収穫までを考えれば、本当に奇跡的なことなのですね。

先人たちは、その年の豊作を田植えの時から祈り、

丹精込めて水田を手入れし、お米を作ってきたのですね。

いろんな行事の中にその願いが込められています。

その心は今も変わらないと思います。感謝です。

イネにとっても大切なこの時期。

美味しいお米ができるように、どうか天候に恵まれますようにと、祈りましょう。

夏の田んぼ

金曜日の今日、ちょっとリラックスムードで、いきたいですね。

今日もお元気に、行ってらっしゃ〜い。

We offer our heartfelt gratitude to rice and the earth.

 こんばんは。 お米の花はたった2時間の開花で受粉を終えて閉じてしまうのです。もしその時台風がきたらお
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Aug 21, 2013

束の間の付き合い

皆様、おはようございます。

江戸時代、狭いところでひしめきあって暮らした江戸っ子たち。

お互いが気持ちよく暮らすための工夫やマナーがありました。

現代にも通じる生活の知恵ですね。

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江戸の人たちは、たまたま渡し船に乗り合わせたり、店先で顔を合わせると、

和やかに軽く挨拶を交わしたということです。

そこには、「袖振り合うも多生の縁」という考え方がありました。

そして、江戸の人々は見知らぬ人も「みな仏の化身」と考えました。

ただし、名前や職業などを聞くのは野暮で、聞かないのが決まり。

差し障りのない天候の話題などを選んで会話を楽しんだのです。

粋ですね。
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「束の間の付き合い」

これを大事にしようと江戸の人は考えたのです。

せっかく居合わせたのだから、お互いに一時を大事にしようと、束の間付き合いを大切にしました。

でも、そこには深いものがありますね。

これは人間関係を円滑にする方法でもあります。

江戸っ子のように、私たちも、商人が客に接するような心遣いで、人と接することができたら、

円滑な人間関係や安心安全な社会を築くことができるのではないでしょうか。

現代では、隣同士で電車に乗り合わせても、お互いにスマホを覗いていて、声を掛け合うという発想すらなくなりつつあります。

江戸の商人や町人は、スマホで情報をキャッチできなくても、

互いに心を通わせ、助け合いながら、楽しく情報交換をしていたことでしょう。

江戸っ子の生活は、やはり人情味があって、生き生きと、しかも、きびきびしたものを感じますね。

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Aug 21, 2013

袖振り合うも

皆様、おはようございます。
 
 
 袖振り合うも多生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
 
 
 
「多生」とは仏教用語で、何度も生まれ変わるという輪廻転生(りんねてんしょう)を意味します。

「他生」と書いて、前世、来世を意味することもあります。
 
 
これだけ人々が多くいる中で、袖がちょっと触れて、すれ違う程度の出会いであっても、

それは何度も生まれ変わった上での出会いなのだから大切にしよう。

 
現在、過去、未来、自分が出会った人、出会うであろう人々はどれくらいの数になるのか全く見当もつかないけれども、

その中での出会いなのだから大切にしたいものだ。
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人との出会いは、自分が思う以上に深い深い縁があるようです。

良い縁もあれば、そうでない縁もあるでしょう。

そうでない縁と思うものでも、今生で衝突したり、避けたりしたら、また来世でも同じように出くわすかもしれない。
 
だから、今生でその出会いに対しても、誠心誠意尽くしなさい。
 
そうすれば、来世での出会いはもっと素晴らしくなる。

そんなことを言われているようにも思います。

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江戸の町の賑やかな雑踏の中で、互いの袖が触れ合うような場面で、

そんなことをふと考える江戸の人々の生き方をちょっと垣間見る思いがしますね。

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Aug 20, 2013

江戸の教育は、15歳で大人扱い

皆様、おはようございます。
江戸時代、身分制度もあり、狭いところでひしめきあって暮らした江戸っ子たち。

お互いが気持ちよく暮らすための工夫がなされていました。

現代にも通じる生活の知恵ですね。

「三つ心 六つ躾(しつけ)

九つ言葉 十二文(ふみ)

十五理(ことわり)で末(すえ)決まる」

今日のフレーズは長いように見えますが、

この数字は子供の年齢と、その歳にふさわしい教育方法を示しています。

江戸の人は、子どものしつけにも厳しく、また社会的な教育をしていたのですね。
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3歳までは、愛情深く子供を育て、心の存在と大事さを感じさせる。

昔から「三つ子の魂百まで」とも言いますから。

6歳までには、大人の立ち居振る舞いを見習わせ、寺子屋などできちんと師匠の目を見て話を聞くように作法の基本を身につけさせる。

9歳までには、どんな人にも失礼でないあいさつができるようにする。

12歳ころには、一家のあるじの代わりに手紙を書けるようにしておく。注文書や請求書、苦情処理の弁解書もまがりなりにも書けるよう鍛育しておく。

15歳になると、経済、物理、科学などの森羅万象を暗記でなく実感として理解できるように、その真実を見抜く力を養っておく。

もう15歳になると、もう大人扱いなのですね。驚きです。

「知ること」より「分わかること」を重視していた江戸寺子屋教育。

それは即日常生活に活かせます。

現代は、スマホで調べれば何でも知識が入る時代になっていますが、

「知っていること」と「内容を理解し、咀嚼して、それを役立てていく」ということとは別ですね。

「分わかること」が人への共感、思いやりの心につながります。

その感性を磨いた江戸庶民の教育。

現代、こういう育て方が求められているように思います。

こんな学校があったら、我が子を入学させたいと思いませんか。

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Aug 18, 2013

芭蕉の「軽み」

皆様、おはようございます。

今週は、お盆の行事や終戦記念日を迎え、

祖霊や英霊への思いをさらに深く胸に刻まれたことと思います。

「夏草や  兵(つわもの)どもが  夢の跡」 (松尾芭蕉)

芭蕉が旅をした岩手県平泉で詠んだ一句。

いくさの虚しさを詠んだのですね。

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芭蕉がこの『おくのほそ道』という漂白の旅をするきっかけとなったのは、

江戸の大火や母親の死を体験したことにあったそうです。

形あるものは決して永遠ではないという「諸行無常」の境地を実感し、

また、安らかで自然な生き方を唱える老荘思想へも共感していったということです。

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出会いと別れを繰り返しながら、旅の中に俳諧の題材を求めて、

漂白の旅に出た芭蕉。46歳でした。
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漂泊の旅の後、「不易(ふえき)流行(りゅうこう)」という思想に辿り着きました。

いつの世にも変わらないものと、

時代とともに変化するものは表裏一体のものなのだという考え方です。

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中禅寺金谷紅葉
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最後に芭蕉は、「軽(かる)み」という独自の新しい俳風に到達します。

そして、日常性に即しながらも、

心の底から心情が滲み出てくるようなものを俳句をあらわしていきました。

人との出会いや別れを経験し、

反俗の思いを抱いていた芭蕉が最後に辿り着いたのは、

日常の生活の中にこそ、日常を越えるものが存在するのだということだったのでしょう。

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私はとても共感できます。そうありたいと思っています。

皆様、今日という一日をお楽しみくださいね。

ゆったりと、お過ごしくださいませ。

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金谷の灯篭

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