和のたしな美ぶろぐ
Sep 11, 2013

日本人も外国人化か・・

皆様、おはようございます。

文楽の人形遣い、人間国宝の吉田簑助さん。

『頭巾かぶって五十年』という著書の中で、海外公演の体験談を書いています。

海外の人の反応が意外なものだった例を挙げています。これらの演目をご存知かどうかはさておいて、
ちょっと文化の違いを感じてみてください。
.

.

「道行初音の旅(みちゆきはつねのたび)」では、狐が恩を感じて、忠信の姿となって、静御前を護っているのですが、欧米では、どうしても理解されません。

狐が、欧米では、イソップ物語の悪役ぶりとして浸透していて、
人を助けるとは、だれも信じてくれないのです。
.

「釣女(つりおんな)」では、大名が美女を釣り、太郎冠者が醜女(しこめ)を釣っ
て、日本では大笑いですが、
アメリカ人は、太郎冠者が釣った鼻が低く頬の赤いお多福のほうが、細面で整った美人よりも個性的でチャーミングというのですから、
オチにもならないのです。

仕方なく、お多福を男の三枚目の頭にしたものでした。

.
勧進帳2

.

 

「道行恋の苧環(おだまき)」では、求女(もとめ)を奪い合うお三輪と橘姫が、三角関係にありながら、なぜ三人で仲良さそうに踊っているのかというのです。

「阿古屋琴責(あこやことぜめ)」では、嘘発見器よろしく、阿古屋が弾く箏や三味線の音色の乱れで詮議するのですが、

侍が、単にフジヤマゲイシャガール遊びをしていると思われたようです。
.

写真 2013-06-14 12 18 33

.

 

 

海外公演で、歴史、風俗、習慣の違いを感じて、笑ってしまうこともしばしばあるようですね。
それが、日本でも同じようなことが起こりかけているそうです。

例えば、「野崎村」で、お染が、箒に手拭いで頬かむりさせて、戸口に立てかけますが、これがなんだか分からないようだというのです。

嫌な、早く帰ってほしい客には、そういうおまじないをしたものですが、今は箒を知らない人がいます。掃除機にバスタオルを巻くわけにもいかず、困ったものです。

日本の子供たちにも箒を教えてあげないといけませんね。

.

 

考えてみれば、日本人も外国人化してきているということですね。

日本人がこれから古典芸能を楽しく鑑賞するためにも、親子で鑑賞する機会を作ったり、子供たちの世代に日本の歴史、風俗や習慣を伝えていくことが必要かもしれませんね。

そして、オリンピックの関係で大勢の外人さんが日本にやってきますね。

胸を張って日本の文化を語ってまいりましょう。

.

歌麿団扇

 

 

Sep 11, 2013

佃の住吉さん

皆様、おはようございます。

☆佃島の住吉さん☆

この佃島の住吉神社は、1646年、住吉大社の分神霊として建立。

江戸幕府に許可された由緒ある江戸っ子のお祭り、今も3年に1度行われます。

佃島住吉の祭り

隅田川を渡御する船渡御祭。

江戸三大囃子の一つ、佃ばやし。

高さ20メートルの6基の大幟(のぼり)と八角神輿。

一見の価値ありですよ。

今日はレトロな雰囲気で。

楽しい週末をお過ごしくださいね。

写真 2013-09-07 9 07 31

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 和のこころComments Closed 

 

Sep 11, 2013

出会いを尊び、別れは余韻を楽しむ。

9月6日、これはFacebookに投稿した記事です。
皆様、おはようございます。
今日はもう金曜日ですね。一週間が過ぎるのが早いですね〜。
人との出会い、仕事上でも、プライベートでも、今週もたくさんあったことでしょう。ああ、あの人にまた会いたいなあと思うこともしばしば。
またそう思われたいですね!出会いを大切にすることは別れも大切にすることを江戸しぐさは教えています。

地方から江戸へ出てきて一生懸命働いて、ひと財産築くことは、当時の人々の夢でした。今でもそう思っている人もいるでしょう。

いくら江戸で成功し、駕籠に乗れるような身分になっても、思い上がってはいけないと。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」

謙虚さや慎ましさこそ、人間関係を築き上げるコツと考えられていました。

訪問先の手前で駕籠を降りて、あたかも歩いて訪問先を訪ねましたという、配慮がされていました。これが「駕籠止めしぐさ」です。

そして、
「この人に会えて本当によかった」
「また会いたいなあ」「お名残惜しいなあ」と、
相手の人は心に余韻を残し、それを味わって楽しんだのです。

「いやあ、富山屋さん、今日は長いことお邪魔しました。ごめんください!」
と言って、一礼して江戸屋のご亭主が富山屋さんに一礼。
その後、三間(5.4メートル)ほど行ったところでもう一度振り返って最後のあいさつ。

出会いを大切にして、別れ際にも余韻を残す。

今は、「はい、それでは失礼します〜」で、電話もプチッと切ったり、
タクシーや電車で帰る相手に、すぐ背を向けてはいませんか。

こちらも相手にまごころを伝え、相手にも余韻を楽しんでもらうって、
この空気のやり取りが日本人らしいなあと思いますね。

今週も江戸しぐさ、楽しんでいただけましたか。
今日もお互いの間を楽しみましょう。
行ってらっしゃ〜い。♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

写真 2013-09-06 8 55 19

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 江戸の意気・粋Comments Closed 

 

Sep 11, 2013

「陽明学」って、知っていますか?

陽明学って、ご存知ですか。

江戸時代に徳川幕府が採用していた教えは儒教。その経典が「四書五経」。
その中で、子供たちにとって大切なテキストは『論語』でした。
中でも、「仁・義・礼・智・信」が実行すべき徳目だったのです。この儒教の一派、朱子学は、
「人間の運命は生まれつき決まっている」と説いていたので、
統治する側から見れば、都合が良かったのです。さて、ここで「江戸しぐさ」です。
中江藤樹が説いた陽明学の教えを江戸の商人たちは重んじました。「本人の努力次第で、運命は拓ける」と、陽明学は教えたからです。

江戸の商人は、知識を知恵に変えて実践することに重きをおいていましたから、
自由でクリエイティブな発想を好んだのですね。

「四書五経」だってしっかりと咀嚼して、ユーモアを交えて、優しく、易しい言葉で人に伝えることができました。

大家さんが店子に、
「ねえ、熊さん、そんなこと  お言いでないよ〜」

優しく、丁寧に、大家さんから言われた熊さん、

「ああ、そうっすね。そりゃ、 大家さんのいう通りで〜。」
と、素直に従いたくなりますね。

「人間はご先祖様、仏様に見守られて、みな平等に生きている」と考え、
どんな身分の人にも思いやりをもって接するように努めた江戸の人々。

現代は身分制はないですが、
江戸しぐさの核ともいえる「思いやり」というしぐさ、これも大切にしたいですね。

 

写真 2013-09-05 9 17 45

 

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 江戸の意気・粋Comments Closed 

 

Sep 11, 2013

「すみません」は「私の心が澄みません」

万物を動かす見えない大きな力を神仏と考え、
「人も仏の化身」と、江戸の人々は考えました。
いつも心が澄んでいることを好んだのです。「ごめんなさい」は「御免なさい」。

「免」は容赦、「御免」は尊敬語で、「御容赦」のこと。

失礼な目にあわせた人に「お許しください」と謝る言葉。

人の足を踏むという些細な出来事も、あなたに与えた苦痛に対して、
「ご免なさい」と謝るだけでは、
「私の気持が済みません」
「私の心も澄みません」
というのが日本人のこころ。

日本人は外国人から見ると、謝りすぎだと言われることがありますが、
もとは「それではあなたに対して自分の心が澄みません」という含意があったのですね。

今は、先に謝ったほうが負けだという風潮もありますね。
でもね、みんなが「御免なさい」「澄みません」の心をもって接していれば、
ギスギスしたトラブルも起きずに済みますよね。

さらに進んで、江戸の人々は、満員電車で相手に足を踏まれてしまった時、
踏んだ相手に先に謝ってしまうのです。

「とんだところへ足を出していて失礼!」

危機管理ができていない自分への戒め。そして次の危機を回避する心構え。
進歩的な考えですね〜。

これを「うかつ謝り」といいいました。

 

写真 2013-09-04 8 42 21

 

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 江戸の意気・粋Comments Closed 

 

Sep 11, 2013

「風の盆恋歌」

皆様、おはようございます。

「蚊帳の中から 花を見る

咲いてはかない 酔芙容」

石川さゆり『風の盆恋歌』
.

 

胡弓の哀愁漂う音が胸に響きます。

富山県八尾(やつお)の人々が守ってきた「おわら節」の民謡行事。

「越中おわら風の盆」ともいわれます。

今日3日までです。

この八尾は立山連峰を越えて日本海から強い風が吹き込む土地。

この風が稲作に深刻な被害をもたらしてきました。

そのため、「風の盆」は風を鎮める「風祭り」と「盆踊り」が一つになって変化した風習だとか・・。

三味線と太鼓、胡弓の独特な調べにのって、無言で踊る「風の盆」。

無言なのです。

その哀愁漂う光景から小説やヒット曲『風の盆恋歌』などが生まれました。

.

.

 

編笠をかぶって無言で踊る姿に、優美な色気が漂います。

言葉にはならないものを心で感じる。

まさに「空気を読む」感覚。

見る側も、言葉ではなく無言で心で感じる感覚。

.

 

きっと、大自然をいつも身近に感じていたら、もっと深く味わえるような気がします。

心豊かに感じること。江戸の人々もとっても大切にしていたことです。

今日も「お心肥やし(おしんこやし)」でいきましょう〜。
.

 

おわら風の盆

 

Sep 2, 2013

稲の開花を願う「二百十日」

皆様、おはようございます。

9月1日は「二百十日」といわれています。

稲の開花のこの時期、台風のため稲の減収にならないように気をつけましょうという日です。

農家の厄日とされていますね。

9月は実りの秋ですが、台風が襲来することが多いため、農作物にとっては受難の月です。

台風被害を避け、豊作祈願をするための「風祭り」を行うところもあります。

お米の収穫までもう少しですから、稲が台風の被害に遭わないように祈りましょう。

.
稲の花

.

 

「立春から210日目の海は大荒れになる」ということを、

江戸時代の歴史学者渋川春海(しぶかわはるみ)が、

漁師たちの経験に基づいて暦に記したことから、

この「二百十日」が広まったそうです。

.

.

 

自然現象をあらかじめ察知するには、知識よりも経験がものを言います。

知識を知恵に変えて実践するという教育は、とても大事なことですね。

生涯活かせる生きる知恵です。

.
森羅万象を実感として理解する力を育む「養育」「鍛育」を行った江戸の人々。

今の子供たちにも「二百十日」の意味を、9月の天候を通して教えてあげたいですね。

9月は、秋の訪れを楽しめる月でもあります。

今月もどうぞよろしくお願いします。

夏の稲穂

 

 

Sep 2, 2013

都の名所、佃島

あれ、鳥が鳴く鳥の名も

都(みやこ)に名所があるわいな

〜俗曲『夕ぐれ』より〜

佃島渡し船

都の名所の一つ、佃島。

徳川家康に佃煮を献上するため、

摂津国佃村の漁師たちが移り住んだと言われている、ここ佃島。

3年に1度の住吉神社の佃祭りは、江戸時代からのもの。

安藤広重の「名所江戸百景」に、その幟(のぼり)と神輿が描かれています。

その幟が、今でもお祭りで使われているのです。それは佃っ子の誇り。

佃島住吉神社桜

楽しい土曜日をお過ごしくださいね。

 

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 和のこころComments Closed 

 

Sep 2, 2013

お心肥やし

 

皆様、おはようございます。江戸商人の真髄を表す言葉に「お心肥やし(おしんこやし)」というのがあります。す。

体よりも心を肥やす。
自分で見て、聞いて、考えて、感性を磨くことが大切という意味です。
人間としての器を育てることにも通じます。

ただ知識を詰め込むのではなく、知識を知恵に変えて実践すること。

当時は「教育」という言葉を使わずに「養育」「鍛育」という言葉を使っていたそうです。

親や師匠と子供たちの関係は、普通に考えれば、上から下に教えるという上下の関係が強いです。
そこでは、自立心が育ちにくいと考えました。

ですから、親や周囲の大人のしぐさから子供に見取らせる、進んで見習わせることによって、子供が自分で判断し行動できるように「自立」を促すことに主眼をおいていました。

子供たちの周囲にはお手本になる大人たちがたくさんいたということでもありますね。
今はどうでしょうか。私たちは子供たちのお手本になっているでしょうか。

親世代から子の世代へ、子世代から孫の世代へと、「子供は国の宝」という思いで、愛情深く見守り、しかも、自立のための決断力と行動力を身につけさせた、そんな江戸の社会の教育が見えてきますね。

それにしても、進んだ考え方をしていたことに驚きます。

 

写真 2013-08-30 9 13 06

 

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 江戸の意気・粋Comments Closed 

 

Sep 2, 2013

子どもは国の宝

江戸時代の子育ては家庭ぐるみ、地域ぐるみで取り組みました。
そこには「子どもは国の宝」という発想があったからです。年齢に応じて発達していく能力を前提にして、まず「心の在り方」を養育し、
次に「暮らしに役立つ実学」を身体で覚えさせたということです。特に日本橋や京橋、新橋界隈の豪商が費用を出し合ってつくった江戸寺子屋では、「男あるじ」「女あるじ」を養成する特別プログラムがあったそうです。

そこでは「視る」「聴く」「話す」が重視され、ロールプレイングも時々行われました。
その中で「気付き」「自発性」「自立」「自律」が養われていったのです。

次に学んだのが「読み書き、算盤」の実学でした。

卒業試験は「稚児問答」といって、師匠の前で口頭試験を受けたのです。

この子育ての究極の目的は、「人の上に立つ者の心得」をしっかり身につけさせるというところにありました。

決してブレるぶれることのないこの教育体制、目を見張るものがありますね。

 

写真 2013-08-29 8 16 37

 

Posted in 和のたしな美ぶろぐ, 江戸の意気・粋Comments Closed 

 

1 42 43 44 45 46 47 48 49