お盆の由来〜目連尊者の強欲ママ
おはようございます。
昨日は東京は迎え火でした。
早いもので、都心部ではお盆(毎年7月13日~16日)になります。
そして、草市が開催されました。
草市はもともとお盆に使う飾りものや盆踊りの用品を売る市でした。
夕方の薄暗くなるときに見る迎え火と草市。これもまた東京下町の風物詩の一つですね。
お盆は、仏教の魂祭(たままつり)である盂蘭盆会(うらぼんえ)、
または盂蘭盆(うらぼん)を略した言葉です。
盂蘭盆会は、釈迦の十大弟子の一人目連尊者(もくれんそんじゃ)が
母親が地獄に落ちているのを知って、
釈迦の教えに従い7月15日に多くの僧侶を招いて供養(もてなし)したところ、
母親が救われたということに由来します。
目連にとってはとても優しくていいお母さんだったのですが、
母一人で目連を養育し、教育させるために、
強欲なまでの金貸しをして、人には疎まれていたのだそうです。
目連が修行の末、得た眼力(神通力)で母親を見た時、
母は浄土に行っていると思っていたのに、
餓鬼界で苦しんでいたのを見て大変驚いたということです。
お母さんが餓鬼道で逆さ吊りにあっているなんて・・。
目連一人では母を救うことはできず、
旧暦7月15日、雨安居(うあんご)といって、雨期が明けるまで研修をしている僧侶たちにお願いして、母を餓鬼界から救ってもらったのです。
子どもにとっては優しくていいお母さんだったとしても、
他人に対して強欲で嫌われるようなことをしてはいけないという戒めでしょうか。
生きている間にどれだけ人に優しさを届けられるか、
とっても考えさせられますね。
本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
優しい笑顔の一日をお過ごしくださいませ。
お中元の始まりは
おはようございます。
デパートなどではお中元の受付が始まっていますね。
古く中国では、1月15日を上元といい、7月15日を中元といい、
10月15日を下元と呼んで、お祭りを行ったそうです。
その中元の行事が日本に伝わりました。
それがお盆の行事と日も同じところから混同されて、
お盆に贈り、贈られるものがお中元といわれるようになったのです。
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お盆には、親戚や親しい者同士の間で、仏様に供える供物を贈り、
贈られたりする習慣があったのですが、
それが中元の贈り物に変化していったのですね。
更に親戚、縁者から範囲を広げて、
平素お世話になっている人々へ、お中元をするようになりました。
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現在では、お盆の供物という意味合いは全くなくなってしまいましたね。
お世話になったことへの感謝の気持ちを込めて贈るというのが
普通になっていますね。
形骸化したお中元の習慣についても、いろいろ言われていますが、
是非この方にと思う時には,心を込めてお贈りしたいですね。
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本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
笑顔で今日もお過ごしくださいませ。
浅草のほおずき市
おはようございます。
今日は、古くからの夏の風物詩、浅草のほおずき市の日です。
今日と「四万六千日」の縁日にあたる明日の二日間、浅草浅草寺の境内で市が行われます。
江戸の享保年間(1716~36)ごろから、
7月10日の観音様へのお詣りの功徳は千日分に相当する「四万六千日」と
呼ばれるようになりました。
そのご利益は4万6000日分(126年分)に相当するといわれています。
境内に数百軒の露店が出て、鉢植えのほおずきを竹籠に入れて、
風鈴を添えて売られます。
浴衣姿で団扇を片手に、娘さんたちがほおずきを買い求める姿に
夏の風情を感じますね。
持ち歩くときに、風鈴が風で揺れ、涼しげな音が奏でられることでしょう。
源頼朝が奥州征伐の帰り、浅草で部下を休ませ、日射病で倒れた兵士にほおずきを食べさせて元気づけたという言い伝えがあります。
ここからほおずき市が始まったということです。
本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
今日も楽しい一日になりますように。
両国の花火大会の由来
おはようございます。
7月は、稲穂が育つ含月(ふくみづき)とか、
七夕に詩歌を献じる文(ふみ)の月と言われます。
今日は、山開き・川開き・海開きの日ですね。
もう夏本番も間近に感じます。
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川開きは、川遊びをすることが許される最初の日。
両国の川開きが有名ですね。
江戸時代は旧暦5月28日から3ヶ月間は納涼期間といって、
毎日のように花火が上がり、船宿が大繁盛したそうです。
これは、享保18年(1732)から始まったということです。
この前年には大凶作で餓死者が約百万人も出てしまい、
江戸市内でもコロリ(コレラ)が大流行して、
たくさんの死者が出ました。
大変なことだったのですね。
そのため八代将軍吉宗が開催したのが
死者の魂を供養するための水神祭(すいじんさい)でした。
その時に上げられた花火が名物となって、毎年、川開きから8月いっぱい、
雨天の日以外には連日花火が上がるようになりました。
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両国の花火大会は、現在「隅田川花火大会」として引き継がれています。
夏の風物詩「隅田川花火大会」が元をたどれば、
死者の魂を供養するためのものだったのですね。
今年は浴衣を着て、団扇を片手に、花火大会に行きませんか。
浴衣のたしな美講座を7月7日に行います。
男性のために清潔感を保つポイントも伝授します。
下記をご覧ください。
本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
今年半分の初日がスタートしました。
佳き日になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座
【浴衣のたしな美&テーブルマナー】
7月7日(月)午前10:00~12:00
東京都中央区明石区民館
櫻本ゆかりさんから男性のスキンケアのお話、
女性のワンポイントメイクアップなどをしていただきます。
お時間がありましたら、ぜひいらしてください。
https://www.facebook.com/events/538678939588041/
六月の異名
おはようございます。
今日も東京はしっとりと雨が降っています。
そちらのほうはいかがですか。
六月の和風月名をいくつか今日はご紹介しますね。
「水無月」
旧暦六月が酷暑の時期であるということから、
梅雨が明けて、水が涸れる時期を表したということです。
「水月(みなづき)」
田植えがすんで、それぞれの田んぼには水をたたえているということです。
「田水之月(たのみつき)」を略したともいわれています。
「皆仕尽月(みなしつき)」
「皆尽月(みなつき)」
田植えが終わって、大きな農事を皆しつくしたということです。
このほかに六月の異名として、
常夏(とこなつ)月
鳴雷(なるかみ)月
松風月
季夏
陽水
涸月
焦月
などがあります。
旧暦から見れば、暑い夏の盛り。
「陽水」というのも面白いですね。
今月21日は「夏至(げし)」がきます。
昼が一番長い日です。
どんどん夏に向っていきますね。
無理をしないで、体調を整えていきましょう。
本日もお読みいただきまして、ありがとうございます。
佳き日になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から
女性の生き方を学ぶ。
7月7日は浴衣のたしな美で、
若々しく見えるポーズとメイク、
和食のテーブルマナーなどを行います。
詳しくはこちらをご覧ください。
→→ http://derivejapan.com/course/
昨日の京まちやスタジオからのUstreamはこちらから。
京おんなが学ぶ
江戸女性の自由でぶれない生き方に学ぶ講座 』
http://www.ustream.tv/recorded/48655656
時計は天智天皇の御代から始まる
おはようございます。
今日は「時の記念日」ですね。
日本の時計の歴史って、天智天皇の水時計に始まるということですから、
長い歴史があるのです。
日本書紀によれば、天智天皇の10年(671)4月25日、
初めて漏刻(ろうこく・水時計)が使用されたそうです。
この日が陽暦の6月10日にあたることから、
これを記念して「時の記念日」としました。
大正9年のことです。
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正確な時間を知ることが当時の人々にとって、
画期的で合理的な、とっても便利なことだったのです。
天皇(すめらぎ)の近江の宮に
造りおきし時のまにまに
御代も絶えせず
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さて、時は変わり、
16世紀半ば、日本初のゼンマイ時計が作られました。
名古屋の津田助左衛門という人が作りました。
その頃、ポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の大内義隆に
ゼンマイ時計を献上しています。
名古屋の津田はそれをまねて、日本初の和時計を作ったといわれています。
フランシスコ・ザビエルは、
ガラス器も日本に最初に持ってきた人でしたね。
ザビエルは、日本にとっては、ガラスやゼンマイ時計という革命をもたらす
キーパーソンだったのですね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
幸せな一日になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から
女性の生き方を学ぶ。
7月7日は浴衣のたしな美で、
あでやかに若々しく見える所作とメイク&着付、
和食のテーブルマナーなどを行います。
詳しくはこちらをご覧ください。
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暦の上での「入梅」は。
おはようございます。
雑節の一つ「入梅」。
暦の上では、今年は6月11日になっていますね。
「芒種(ぼうしゅ)」の後の最初の壬(みずのえ)の日と決まっています。
でも、「入梅」梅雨入りの日は実際には暦と異なり、毎年場所によっても違ってきます。
この入梅のころ、紫陽花や水芭蕉が咲いて、人は癒され、
梅の実は熟し始めて、梅を梅干しやお酒に漬け込むという少し先の楽しみも
与えてもらえます。
「芒種(ぼうしゅ)」というのは二十四節気の一つで、
田植えの時期として、農業には水が欠かせない季節でもありますね。
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今年の梅雨で思わぬ被害も出ていますが、
季節の巡りの中で自然はうまくしたものだと、つくづく思います。
良きことも悪しきことも、人は自然の中で受け入れざるをえません。
日本人がじっと耐える強さも、
この自然との共生の中で培われてきたものなのでしょうね。
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稲や実りの収穫まで、人力ではどうすることもできない天災、自然災害など、
収穫にたどり着くまで、多くの苦労があります。
その苦労が収穫の喜びとなるように、
日本の先祖たちは田の神に祈り、
感謝のためのさまざまな風習や芸能を生み出してきたのですね。
今年も豊作になりますようにお祈りします。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
佳き一週間になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
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→→ http://derivejapan.com/course/
アジサイの花言葉は「移り気」
おはようございます。
アジサイは、ネーミングの「紫陽花」から見ると、
まるで中国から渡来した花のように思えますが、
歴とした日本製です。
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アジサイの代表選手がヤマアジサイ。
花祭りのときにお釈迦様の像に降り注がれる甘茶の木もヤマアジサイの一種だそうです。
アジサイは七変化ともいわれますね。
アジサイの花の色は、
クロロフィル(葉緑素)
カロチノイド(黄の色素)
フラボン(白の色素)
この3つで構成されています。
この3つの要素の変化で紫陽花の色が変っていきます。
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クロロフィルが色あせるとカロチノイドが目立ってきて、
カロチノイドが分解され、フラボンが強くなると、青くなります。
この間、光合成によって葉が作った糖分が花のほうにいくと、
アシトシアン(赤の色素)に変わり、
その後、細胞液の酸でマグネシウムが分解し、
カリウムが結合して紫に変化します。
このようにアジサイの花は、緑、黄、青、赤、紫の順に変わっていくのだそうです。
この花の色の変化から「移り気」の花言葉が生まれたのですね。
これは変化に柔軟に対応できるということでもあると思うのです。
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アジサイは、この梅雨の時期に私たちの心を癒してくれる、鮮やかな彩りの花ですね。
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「つゆ空ゆ 陽はさしにけり てまりなす
あぢさいの花の色にいでつつ」(香取秀真)
と歌われたように、
古来から花を乾かして煎じて用いると、解熱の効果があると重宝されてきました。
こんな薬効もあったのですね。
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いずれにせよ、今の季節、アジサイを大いに楽しみましょう。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
お体に気を付けて、
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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てるてる坊主
おはようございます。
今の時期、紫陽花の花が鮮やかですね。
水芭蕉も今の季節、風情があっていいですね。
六月の和風月名は「水無月」。
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沖縄に始まり、日本列島の南から梅雨入り宣言が出されました。
どうしてたっぷり雨が降る月なのに、水が無い月と言われているのでしょうね。
旧暦六月が酷暑の時期であることから、梅雨も終わり、水が涸れる時期を表した言葉だというふうにいわれています。
また「梅雨で天の水が無くなる月」だとも言われています。
毎日じっとり、雨降り続きでは、気が滅入りますね。
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てるてる坊主
てる坊主
あした天気にしておくれ~
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てるてる坊主は、もともと中国の風習です。
雨雲を帚で掃いて、晴れの気を呼ぶという日乞いの人形
「掃晴娘(そうせいじょう)」が日本ではてるてる坊主になりました。
日本では、昔、修験者や僧侶が日乞いをしていたため、
中国の女神様がいつの間にか、男性の人形、てるてる坊主になったのです。
てるてる坊主は、晴れたら目や鼻を描いて、お酒をお供えしてお礼を言うのが
決まりだったようです。
その後に川に流したそうですよ。
てるてる坊主さん、
雨さんを連れて行ってくれて、ありがとう
と、思いを込めて。
なんだか優しい気持ちになれますね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
お体に気を付けて、
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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「十干十二支」って、何でしょう。
おはようございます。
年・月・日・方位を表すのに今も使われているのが「十干十二支」です。
遠いようでいて、意外と身近で使われていますよね。
「あなたは、なに年ですか。」なんて、よく尋ねられますね。
十二支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」を表します。
十干は、「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちの
え)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずの
と)」を表します。
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例えば、
今年2014年は、「甲午(きのえうま)」の年です。
野球場の甲子園は、「甲子(きのえね)」の年につくられました。
戊辰戦争は、「戊辰(つちのえたつ)」の年に起こったことからこう名付けられました。
面白いですね。
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この十干十二支を掛け合わせたものが干支で、「兄弟(えと)」とも呼ばれ、
古代中国から伝わった陰陽五行を取り入れて、
組み合わせは60に及び、「六十干支(ろくじっかん)」といいます。
「甲子(きのえね)」から始まり、
「癸亥(みずのとい)」の60年まで数えます。
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これが満60歳を祝う「還暦」です。
「本卦還り(ほんけがえり)」とも呼ばれます。
61年目で一巡して、元にもどって、最初から数え直します。
江戸時代の人の寿命は短く、60年生きることができれば長生きでした。
60歳になって還暦のお祝いをするときに、赤いちゃんちゃんこを着るのが習わしでしたね。
赤い色は、「赤ちゃんに還る」という意味と「魔除け」の意味があるそうで、
「赤い頭巾、赤いちゃんちゃんこ、赤い座布団、扇子」などを用意して、
生まれ変わった気持で、さらに長寿をという願いを込めて一族の長老の還暦を一同が集まって祝ったものです。
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『船頭さん』という歌の歌詞には、
「村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん・・」とあります。
今は寿命も長くなり、60歳といってもまだまだ若々しく、現役で働ける年齢でもありますね。
ぜひ生涯現役で、輝いていていただきたいと祈っています。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
心静かな一日をお過ごしくださいませ。
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