【七十二候から】4 「土脈潤い起こる」
【七十二候から】4
「土脈潤い起こる(どみゃく うるおいおこる)」
皆様、おはようございます。
「雨水」の初候。
昨日東京から郷里の宮城に来ました。
重たい雪が溶けて氷が溶け出し、降る雪も雨へと変わりつつあるようです。
アイスバーンから開放され、ドライバーは安心の心持ちですね。
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早春の暖かい雨が大地に降り注ぎ、すべてが潤い目覚める頃。
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江戸中期には、お伊勢参りが庶民の間で春の行楽として流行したそうです。
自由に旅ができないご時世でしたが、お伊勢参りは通行手形を認められたのです。
一生に一度でも行きたい庶民の夢。お伊勢参り。
江戸からお伊勢まで15日という長旅。
伊勢から京や大坂まで足を伸ばして、春を満喫したのでしょう。
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健脚ぞろいのこの時代。
春の旅はさぞかし楽しかったことでしょうね。
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皆様、今日もすべては完璧、大成就の日でありますように。
いつもありがとうございます。
【七十二候から】3 「魚氷に上る(うお こおりにあがる)」
【七十二候から】3
「魚氷に上る(うお こおりにあがる)」
皆様、おはようございます。
昨日は春一番が吹き荒れた日となりましたね。
都心は強風のために電車の遅れもありました。
暖かくなってきて湖の氷が割れ、魚が跳ね上がる頃です。
冷たい水の中で若い魚たちが勢いよく動く様子に生命の躍動を感じます。
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命のよみがえり、再生、躍動感。
春って、本当に素敵!!
大自然は今日も様々な生きる力を私たちに与えてくれます。
さあ、今日も一歩前へ進みましょう。
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皆様、今週もすべては完璧、大成就の日でありますように。
行ってらっしゃ~い。
いつもありがとうございます。
【七十二候から】2 「黄鶯睍睆(うぐいす なく)」
【七十二候から】2
「黄鶯睍睆(うぐいす なく)」
皆様、おはようございます。
春の到来を告げる鶯が鳴き出す頃。
春に先駆けて咲く梅の花を「春を告げる花」、
その頃に鳴く鶯を「春告鳥」と呼びます。
今ではあまり「うぐいすの粉」を目にしなくなりましたが、
鶯の糞には酵素が多く含まれていて、美白効果があるということで、
江戸時代には一般庶民から芸者衆、歌舞伎役者まで幅広く使われていました。
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鶯のさえずりを聞きながら、
お抹茶と鶯の練り切り~~春を感じる一服です。
ああ、ホッとする~~~。
皆様、今日もすべては完璧、大成就の日でありますように。
行ってらっしゃ~い。
いつもありがとうございます。💕
感謝しております。✨
【七十二候から】1 「東風凍を解く(とうふう こおりを とく)」
【七十二候から】1
「東風凍を解く(とうふう こおりを とく)」
皆様、おはようございます。
今日は「立春」の初候ですね。
暖かい春風が吹いて、川や湖の氷が溶け出す頃。
まだまだ寒さが厳しいところもたくさんありますが、
旧暦の七十二候では今日から新年が始まります。
目の前に広がる新しい未来を心待ちにして、
今年も幸せいっぱいの時を過ごしてまいりましょう。
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暖かくしてお過ごしくださいね。
皆様、今日もすべては完璧、大成就でありますように。
行ってらっしゃ~い。
いつもありがとうございます。
「冬」の「ふゆ」は、増えて湧き出ずること。
皆様、おはようございます。
「冬」というのは、草木が枯れ、ヒューヒューと木枯らしが吹き、
吹雪も舞い散る、身も心も小さくちぢこまる、
そんなイメージの季節のように思います。
ところが、「ふゆ」の語源を紐解くと、
なんと、
「殖ゆ」とか「振ゆ」という言葉にたどり着きます。
「言霊」から見ても、増えて湧き出ずるというエネルギーのようです。
『日本書紀』では「恩頼」を「みたまのふゆ」と読ませ、
神の神秘な働きや恵みを、そう呼んだようです。
私たち人間の魂(生命力、人の陽気)が増えることが「ふゆ」なのですね。
その時期を「冬」というわけです。
万物の生気が衰えるこの「冬」の時期に、
「魂振り」をして、エネルギーを充電するというわけです。
古の人々は、現象の世界に見えないものを
肌で感じていたことがよく読み取れます。
エネルギーの充電の方法が「神楽」だったのです。
「神楽」は、「物を搗(つ)く」ことであるといいます。
「物を搗く」の「搗く」というのは、穀物を杵や棒の先で強く打って押しつぶしたり、
殻を除いたりすることです。まさに米文化の農事です。
「物を搗く」と音を発しますね。
そして、上下運動をしますので、魂振りをするというわけです。
能や歌舞伎で演じられる五穀豊饒を祝う「三番叟(さんばそう)」の踊りに、
「揉(もみ)の段」と「鈴の段」がありますが、
地固めと種を蒔く舞、この種を蒔くために鈴を振る舞は、
まさに「魂振り」ですね。
閉ざされた種の中に、実は新しい命が芽生える季節「冬」。
どうぞ風邪などお召しになりませんように、
生気をこの時期しっかりと充電していきましょう。
“和のたしな美塾”のご紹介ビデオが出来上がりました。
どうぞご覧くださいませ。
成人式おめでとうございます
成人式の今日。
お子さんやお孫さんが二十歳をお迎えになられた皆様、
おめでとうございます。
走馬灯のように小さい頃のいろんな場面が浮かんでくることでしょう。
二十歳は大人の仲間入り。
法律上も自分の意思で契約を取りかわせることができる年齢ですね。
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歴史をさかのぼれば、男子にとっては「元服」(成年式)が大人として認められる儀式でした。
「元服」の「元」は首、「服」は着用の意味があります。
「髪は女の命」といわれてきましたが、
よく見てみると、男子にとっても頭にかぶる冠であったり、髪型を変えたりと、
頭のスタイルは重要な意味合いを持っていたのです。
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さて、日本の成人式の歴史をたどってみます。
平安時代、既に貴族の男子に冠をかぶせる初冠(ういこうぶり)の儀式がありました。
角髪(みずら)という古代男子の髪型(髪を真ん中から左右に分けて耳のところで先を輪にして束ねて垂らすスタイル)から、
頭頂で一つに束ねて結う髪型に変えて、冠(烏帽子)をかぶり、衣装も成人のものに変わりました。
鎌倉時代には、武士の家では、男子は13歳から15歳に、
烏帽子(えぼし)という冠をかぶりました。
烏帽子をかぶるのは、仮の父子の契約をするほど重要な儀式でした。
冠をつける人を烏帽子親、つけられる者を烏帽子子といいました。
室町時代からは、男子は15歳で元服式を行うようになりました。
烏帽子を廃止して、月代(さかやき)をあげる習慣が一般的になったといいます。
そのために男子は前髪を剃るようになりました。
さらに、幼少名から大人の名前をつけたのです。
例えば徳川家康も幼少名は「竹千代」と呼ばれていましたよね。
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女子の元服式は、
鎌倉時代には、12、3歳になると、
垂れ下げた髪を背中で束ねて長く垂らしてその上に裳(も)を着せました。
室町時代以降には、12歳から16歳ごろ、「歯黒染め」の祝いを行いました。
女子の場合は、この歯を黒く染めることを半元服といって、さらに成長すると、「本元服」という眉毛を剃り落とす儀式を行いました。
江戸時代には、「髪上げ」といって、それまでの桃割れなどから島田髷(まげ)に結い上げます。「十六島田」とも言われるように、16歳頃、嫁入りが間近になりました。
男子も鎌倉時代には、公家や平氏系の武家では、厚化粧や引き眉、お歯黒をつけていたといいます
(源氏系はつけない場合が多かったようです。)。
ともあれ、身なりを変えることは本人にとっても自覚を促すものですね。
武士の時代には、一つの決意表明の意味合いが大きかったのでしょう。
現代は「元」も「服」もありませんが、「成人式」を機にして、
日本の創造的未来をになう心広き、平和を愛する若者に育ってほしいと願っています。
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年の初めこそ後ろ向きで
明けましておめでとうございます。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ
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『一月一日』という明治期にできたこの曲は、
家族みんなが健康で無事に年を越せた喜びを表していますね。
年が改めると、「新しい年」ということで、
焦点を未来に定めて、過去の嫌なこと、悪いことは振り返らずに、
新しい自分を、新たな未来を創り上げていきたい思いで出発しますね。
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古い本を整理していたら、20年ぐらい前の「天声人語」の切抜きが出てきました。
過去は背後にあり、私たちの眼前には未来だけが存在しているように、
普通は考えていますが、
昔のギリシャの人々は逆に考えていたというのです。
過去と現在が前方にあって、見ることができるものであって、
見ることができない未来は背後にあるというのです。
私たちの目の前にあるのは未来だけと思うのは錯覚ではないのかと。
何せ見ることができない未来はどんな形か分からないのだから・・・。
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例えば、私たちが旅客機や列車に乗るとき、
前を向いて座席に座るより、後方を向いて座るほうが墜落や衝突事故のときに衝撃が少ないということです。
分厚くて重たい背中の筋肉や背骨が自分の内臓を強く圧迫してしまうので、
それを避けるためなのです。
これとて、意外ですね。
子供達には一番前の座席に座らせて、目の前の未知の世界を味わう体験させたいと、
大人ならだれしも思いますもの。
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写真:「はこせこ」現代に蘇らせる日本の伝統的刺繍〜田中京子さん
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未知の世界に起こるであろうことに常に毅然として立ち向かい、
高度成長を一致団結してやり遂げてきた日本の先人たちには、
後ろ向きの姿勢は衝撃的な考え方だと、だれしもが思うでしょう。
東北の大震災を契機にして、心の結びつきの大切さや心の豊かの見直しに、
多くの人が気づき、語り始めました。
過去と現在に目をそむけずに、家族、職場、地域などの人間関係や自分のあり方など
を見直していくときに入ったともいえると思います。
それはかつての日本人の生き方や考え方に目を向けていくことでもあります。
今まで築き上げてきた自分の「背骨」に大いなる自信を持って、未来を創り上げて
いきたいですね。
私たちの肉体には、人類の営々と築き上げてきた経験知がDNAとしてあるといわれています。
「自分の持っている無限の可能性を信じる」というのは、そういうことだと思うのです。
そこにあるのは、みな宇宙の存在から生まれた一かけらであるということ。
みな一つの大生命であるのだということ。
過去、現在から、未来へと続く、この命を輝かせ、大事に今年も生きていきましょう。
江戸文化や日本で行われてきたことなど、また書き綴っていきます。
今年も”和のたしな美塾”をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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鏡餅にも福を願う思いがいっぱい
「鏡餅」に「お鏡餅」と「お」をつけているのを見かけました。
たしかに、神に捧げるという意味を表しているのですね。
昨日の記事の続きになります。
こちらをご覧ください。
↓ ↓
http://wanotashinami.com/2014/12/28/new-year/
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鏡餅は、白い和紙を敷いた三宝やお盆に大小の丸餅を重ねます。
そこに吉祥の意味が込められた飾り付けをするのです。
床の間などに1月11日の鏡開きまで飾ります。
丸い餅は、青い銅鏡だとか、豊穣の意味だとか、魂を表すといわれています。
鏡開きにはお供えをおろして、餅を割ってお汁粉にして食べますね。
歳神様(としがみさま)にお供えしたものを「直会(なおらい)」として、
神様と人間とがともに食事をする「神人共食」をするのです。
神力をいただくという意味があるのですね。
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鏡餅の上にのせるミカンは、橙(だいだい)で、
「代々」家督が続くようにとか、長寿を願ってという意味が込められています。
海老は、立派な髭と曲がった腰が老人に似ていることから、長寿のめでたさを表します。
楪(ゆずりは)は、新しい葉から古い葉が落ちることから、
この成長を見届けて家督を譲り、家系を絶やさないめでたさを願います。
昆布は、よろ昆布(よろこぶ)にかけています。
裏白(うらじろ)は、葉の裏が白いことから、後ろ暗いところがない清らかな心を表すとか、
常緑樹の長寿にあやかるためとも考えられています。
鏡餅で新年を祝うということは、やはり福の神をお招きし、
家運隆盛や子孫繁栄を願うということでもあるのですね。
良いお年をご家族の皆様とともにお迎えくださいませ。
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正月飾りにはそれぞれの謂れが
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、いろいろいわれがあるようです。
門松は、歳神様(としがみさま)が我が家へおいでになるときに一休みするところです。
松は、「待つ」に通じるものであると同時に、
常緑樹でありどんな環境でも力強く成長する生命力の象徴として縁起の良いものとされていたようです。
門松でなくても、松の小枝を門口の両側につけるだけでもよいのですね。
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しめ縄は、不浄なものが入り込まないようにするものです。
ですから、玄関の入り口や神棚など、ここぞというところに飾るとよいのですね。
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鏡餅は、もともと祭祀のときに神様にお供えされてきたものです。
「鏡」というのは、古代の銅鏡が円形だったことからこの名を用いています。
そのまるい形が魂をかたどったものだといいますから、意味深いですね。
鏡餅の飾り方については、次にご紹介しますね。(つづく)
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お正月に福の神を招くには
年末年始を海外でお過ごしになる方も多いですよね。
お正月の準備もだいぶ簡素化されてきました。
それでも、できる範囲で清々しいお正月を迎えたいものですね。
お正月だけ降臨する神様が歳神様(としがみさま)です。
この神様は福の神です。
やっぱり我が家にもお呼びしたいですものね。
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神様は門松を目印にしておいでくださるそうです。
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、実は飾るのに吉日というのがあります。
29日は、「二重苦」「苦の日」として嫌われています。
31日は、「一夜飾り」といわれ、神様を慌ただしく迎えるのが失礼だとされています。
そのため、28日、30日に飾るのが良いようです。
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福の神様、どうぞ我が家にもおいでくださいね。
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