皆様、おはようございます。
いろいろ励ましのお言葉をいただきまして、ありがとうございました。
やっと元気を取り戻してきました。
「夢は枯れ野を駆け巡る」の心境でここ4、5日過ごしていました。
あれもしたい、これもしたいと思うだけで、体が思うように動きませんでした。
病気になると、いつまでこれが続くのか先行きが見えない不透明さとともに、健康でいたときに体を乱暴に扱っていたことへの申し訳なさ、頑張ってくれていたことへの感謝の思いが交錯してくるものですね。
身体は大切にしないといけませんね。
皆様も、どうぞお気を付けてお過ごしくださいね。
NHK大河ドラマ『八重の桜』が最終回を迎えましたね。
時代は欧米列強と肩を並べる富国強兵の時代、大国との戦争の時代へと突入していきました。
そして、兄覚馬、前会津藩主松平容保、そして、夫新島襄を、実母をと、次々と亡くしていきます。
「みいんな、いなぐなって、しまったあ・・」と、涙で語る八重。
だれにでも必ずやってくる身近な人たちとの別れ。
夫襄の死後、心を潤したのは茶の湯だったのですね。
そこには、心の安寧を得ることができる世界があったのだと思います。
同志社の理事大澤善助から、娘に茶道を教えてほしいと頼まれたことがきっかけで、自宅の一室を改造して茶室を作りました。
裏千家第13代の千宗室(円能斎)が、「和敬清寂」という茶の湯の真髄の四文字から「寂」という字をとって、そこは「寂中庵」と命名されました。
「和」とは、とらわれの心から開放され、和らいで混じり合うこと。
「敬」とは、敬い尊敬すること。
「清」とは、あらゆる対立を超越した清らかな心。
「寂」とは、「空」や「無」の境涯のこと。あらゆる対立を超越してこそ得られる不動の心と言えるでしょう。
主客相互が職業や地位、貴賤などを超えて、尊敬し、認め合うこと。
赤十字の看護婦として先頭に立って陣頭指揮した八重にとって、命とは敵も味方もない、尊い存在そのものであったのです。
日本が国意を高揚させながら戦いに向っていく様は、見ていてさぞ辛かっただろうと思います。
明治維新に伴う大名家の廃止などによって茶道は廃れていったようですが、八重が茶室「寂中庵」を開いて、女性に茶道を教え始めたため、裏千家は女性の間に広まっていったそうです。
女性の品格や知性、教養を磨くことこそ大切であり、それが社会を、世界を変えていくと、考えていたのでしょう。私も共感できます。
1890年(明治23年)には茶名「新島宗竹」を許され、女性では最高位にあたる裏千家の師範にまで上り詰めました。
「会津のおなご」の誇りを生涯持ち続け、最後まで「わだすは、あきらめねえ」の精神で生き抜いた女性の生き様は、学ぶべきところがたくさんあります。
時代も生き方も全く異なる現代ですが、
私たちも人生の最期まで、あきらめないで夢を追い続け、生きていきたい、そう願っています。