人形浄瑠璃(文楽)

盲人音楽家(琵琶法師)がつくった2つの音楽ジャンル、1つ目は当時民間に流布していた流行り小唄をつなぎ弾いて歌う「地歌」、2つ目は「平家物語」などの「平曲」を弾いて語る「浄瑠璃」でしたね。1つ目の「地歌」は、当時の流行歌を組み合わせて弾き歌いをするものから、三味線の技巧の発展とともに歌詞に一連の意味あるものをつくるようになり、「長歌」と呼ばれました。また短い洒落た歌詞を用いた創作曲は「端歌」と呼ばれました。
更に歌と歌との間には「合の手」が挿入され、名人芸的な技巧も発達しました。
2つ目の「浄瑠璃」は、人形芝居と結びついて「人形浄瑠璃」として興行されるようになりました。また、浄瑠璃の語り手が独立して「太夫」と呼ばれ、
江戸、大阪、京都では、それぞれの特色ある浄瑠璃が発達しました。「人形浄瑠璃」だけではなく、歌舞伎芝居と結びついたり、音楽本位の「歌浄瑠璃」になったりしました。
この「人形浄瑠璃」は、大阪に竹本義太夫が登場して、大作家の近松門左衛門と組んだことで、「義太夫節」が人形浄瑠璃の代名詞になるまでになりました。義太夫は歌舞伎舞伎にも取り入れられていきます。
また、「歌浄瑠璃」から、一中節、豊後節、この豊後節から常磐津節、清元節などが生まれました。現在舞踊でも有名な常磐津、清元も、ここから誕生したのですね。(つづく)

写真 2008-10-13 11 43 59 人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」松王丸