一番人気の富士見酒

皆様、おはようございます。

 

水上交通が発達していた大都市江戸。

人々の暮らしを支えていた交通機関の屋台骨でした。

現代の高速道路に匹敵しました。

 

船には、猪牙舟、渡し船、茶船、荷足船、高瀬船などがありました。

ターミナルとなる渡し場には、茶店で賑わい、問屋の蔵なども建ち並び、

河岸周辺は活気を呈していました。

大勢の女性も彩りを添えて、こういう場で働いていたことでしょう。

 

新米、新酒の時期、秋口から冬にかけては出荷時期のピークを迎え、

隅田川の河口付近は大渋滞です。

 

上方からは上質なものが入ってきていて、高値の取引がされました。

日本酒は、幕末に至るまで上方からの下りものが圧倒的に多かったそうです。

一番の人気が「富士見酒」。

富士山を左手に見ながら江戸湊に入ってくる新酒です。

特に最初に到着した樽は大変な高値がついたとか。

2013-10-30 10.01.25

江戸が経済的に自立するまで経済の発展を支えていたのは、上方出身の商人たちでした。

本店は京都、支店は江戸。

これが上方出身の商人の自負だったのですね。

「江戸店持ち京商人(えどたなもちきょうあきんど)」と呼ばれました。


味覚の秋、日本酒とともに、秋をたっぷりと味わいたいものです。

今日もお元気に行ってらっしゃ〜い。

徳利