東京銀座では、毎年年末になると、救世軍の歳末運動の「社会鍋」が登場します。
その場を通り過ぎると、いよいよ年の暮れだなあという実感が湧いてきます。
これは、救世軍が街角に青竹の三脚を立てて鍋をつるし、行人の喜捨を乞うものです。
集まった資金で貧しい人々に施したり、施療事業に投じたりするものです。
クリスマスが終われば、今度は門松が各商店の前に並びますね。
あっという間に街がお色直しをします。
門松は、門口に飾る歳神様(としがみさま)の依り代です。竹と松の木に注連縄をつけた立派な門松もありますが、松の枝を門口の両脇に取り付けるのが一般的です。
門松は「松の内」の1月7日まで飾るのが一般的ですね。
江戸の門松はどんなだったのでしょうか。
歳神様(としがみさま)は福の神。お正月だけ降臨する神様で、各家では、是非うちにもおいでくださいという願いを込めて、門口に門松を立てて、それを目印に神様においでいただく、神様は門松で一休みされるということです。
江戸の門松は、松ではなく、笹が主体でした。
伸びっぱなしの笹を束にし、ぐるぐる巻きにしてその周りにぐるっと松を巻いたということです。
長屋の木戸口や通りの真ん中に立てて、各家から眺められるようにしたそうです。
というのも、長屋全戸を一家族として共同で作り、どの家からも見ることができるようにしたのです。
笹は背が高く、普通は平屋の長屋なのですが、屋根裏があるという二階建ての長屋だと、二階障子をサラサラとなでて、そのサラサラという音を聞くと、ああ、お正月がきたんだなあと、みんなが感慨深い気持ちになったそうです。
江戸の長屋の門松って、こんな感じだったのですね。
次回はおせち料理のお話をしますね。