芭蕉の「軽み」

皆様、おはようございます。

今週は、お盆の行事や終戦記念日を迎え、

祖霊や英霊への思いをさらに深く胸に刻まれたことと思います。

「夏草や  兵(つわもの)どもが  夢の跡」 (松尾芭蕉)

芭蕉が旅をした岩手県平泉で詠んだ一句。

いくさの虚しさを詠んだのですね。

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写真 2013-08-05 15 22 46

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芭蕉がこの『おくのほそ道』という漂白の旅をするきっかけとなったのは、

江戸の大火や母親の死を体験したことにあったそうです。

形あるものは決して永遠ではないという「諸行無常」の境地を実感し、

また、安らかで自然な生き方を唱える老荘思想へも共感していったということです。

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出会いと別れを繰り返しながら、旅の中に俳諧の題材を求めて、

漂白の旅に出た芭蕉。46歳でした。
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漂泊の旅の後、「不易(ふえき)流行(りゅうこう)」という思想に辿り着きました。

いつの世にも変わらないものと、

時代とともに変化するものは表裏一体のものなのだという考え方です。

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中禅寺金谷紅葉
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最後に芭蕉は、「軽(かる)み」という独自の新しい俳風に到達します。

そして、日常性に即しながらも、

心の底から心情が滲み出てくるようなものを俳句をあらわしていきました。

人との出会いや別れを経験し、

反俗の思いを抱いていた芭蕉が最後に辿り着いたのは、

日常の生活の中にこそ、日常を越えるものが存在するのだということだったのでしょう。

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私はとても共感できます。そうありたいと思っています。

皆様、今日という一日をお楽しみくださいね。

ゆったりと、お過ごしくださいませ。

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金谷の灯篭