皆様、おはようございます。
風呂吹きの煮上る親星子星出て 村越化石
大根を分厚く切って昆布だしで柔らかく煮て、胡麻味噌などをかけて食べる「風呂吹き大根」。
今夜はいかがですか。
カブや冬瓜にも応用できますよね。
大根は面取りして、厚切りにして、ふっくらと茹で上げ、
大根そのものの味を味わうのが一番の調理法です。
ふう〜っ、ふう〜っっと、吹きながら食べるのは、この寒い冬、格別ですね。
「風呂吹き」という名前は、漆器を乾燥させるときに大根の茹で汁を風呂(乾燥室のこと)に
吹き付け、残りの大根を利用したことに始まるそうです。
この俳人村越化石は、静岡県藤枝市出身。
「魂の俳人」と言われている人です。
ハンセン病になり、後に昭和24年大野林火に師事し、
今では俳句界のあらゆる賞を受賞しているということです。
こちらもどうぞご覧くださいね。
http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse_manabu_bungaku_kaseki.html
師の大野林火が化石に次のような励ましの言葉を与えました。
「見えないから何もできないと思ったら、生きている価値がない。
昔は見えたんだから、そんなことは苦にしないで、心の俳句を作りなさい。」
第二句集「山国抄」(昭和49年)より。
雁渡し山脈力集め合ふ
昭和57年、第三句集「端座」で蛇笏賞を受賞(昭和57年)
郭公に膝向けいのちはるばるす
落ち葉踏み天を鏡と思ひけり
師の大野林火は亡くなる前年まで、
化石のいる栗生楽泉園まで足を運んで化石を励まし続けました。
そこは長野県草津のそばです。
「はじめから甘えた句はだめだ。
自分をたえず見つめて、俳句の中心には自分というものがはっきりなくてはならない。
誰の句でもない自分の句を作りなさい。」
平成12年、故郷に句碑が建てられたので、村越化石は60年ぶりに帰省しました。
望郷の目覚む八十八夜かな
師林火の言葉は、健常者の私ですらとっても励まされます。
私の郷里のそばには、ハンセン病患者の療養施設があります。
いつからあったのかは分かりませんが、昔からあり今もあります。
前小泉首相の時代に国がハンセン病患者の補償を認めたことは、
私にとっても大きな喜びでした・・・。