百万の人口を抱えていた都市江戸。
彼らの胃袋を満たすための食料もちゃんと確保できていました。
今の感覚だと、都市と農村というのは分断されて存在しているように思われがちですが、
江戸の町は農村が入り込んでいるような状態で、半分が農地だったそうです。
また、武家地は半分が庭園でしたから、モザイク状に緑があったのですね。
今も残っている新宿御苑も六義園も元々は大名屋敷の庭園でした。
積極的に緑を取り入れていた都市だったと言えます。
今はいろんな野菜を遠方から取り寄せて売っていますが、江戸では「野菜は四里四方(よりしほう)」といって、だいたい四里(約16Km)以内のところから葉物などの野菜が供給されていたのです。
冷蔵庫がない時代ですが、いつも新鮮で無農薬の野菜が入ってきて、とれたてのものを食べたり、煮物や漬け物にしたりしていました。しかも、すべて無添加です。
知れば知るほど、無駄のない、合理的な暮らしをしていたことが分かります。
紙、衣類、野菜や果物から家屋まで、すべて自然素材。木材以外のものはすべて太陽エネルギーから作られるものばかりです。最後は土に戻っていくだけです。
生ゴミが出ても、周りが農地ですから、帰りの船や馬にのせて持って帰って、堆肥にしてしまうので、これも無駄がない。
下肥(しもごえ)も江戸周辺の農村で全部肥料にしてくれていたのです。
この近郊の農家のほうが肥料の生産のおかげで裕福に暮らしていたともいいます。
武士の給料もほとんどベースアップなし。
江戸城の工事で働く大工の賃金も、2倍になるのに200年かかるほどだったそうですから、ほとんど賃金も生涯変わらなかったのですね。
現代人は右肩上がりに生きていかなければならないと、どこかで思い込んでいるものですが、そうしなくても暮らすことができたのです。
ですから、みんなシンプルに生きていたのです。
現代のように、ゴミの処理をどうするかなんて、悩まなくてもうまく循環していました。
太陽エネルギーの恩恵だけで自給自足で生きた、そんな時代があったのですね。
まさに、お天道様のおかげで生きていた都市です。