【七十二候から】40
「綿綿柎開く(わたのはなしべひらく)」
皆様、おはようございます。
今日は暑さが止むという「処暑(しょしょ)」。
もうそろそろ「二百十日」という立春から210日目がやってきます。
雷が襲来する頃とされていますが、ご存知でしたか。
昨日、再び関東以北が台風に見舞われました。
昨今の台風はゲリラ型と呼ばれる激しい台風です。
ご無事でお過ごしになりましたでしょうか。
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この処暑の初めの頃、綿(わた)の花のがく(柎・はなしべ)が開き始めるのだそうです。
そして、綿の種を包む綿毛をほぐして、綿の糸を紡ぐのです。
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写真:綿の実(蒴果・さくか)
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綿は日本の生活に欠かせないものでした。
座布団も布団も、夜具としての綿入れも。
どてら(厚く綿の入った丹前)(仙台弁で「どんぶく」)も、冬の生活には欠かせないものでした。
いつの間にか化学繊維や羽毛などに取って代わられてきましたね。
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写真:はぜた綿の実
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木綿の感触は汗ばむ季節にはもってこいです。
最近とみに若者の間で夏の木綿の浴衣が人気ですね。
もっと涼感やシャリ感を味わいたければ、綿絽や綿麻が好まれます。
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さて、日本では、
木綿は、799年に三河国にインド人によって綿の栽培がもたらされたということですが、
その後は明や朝鮮からの高価な輸入品となりました。
江戸時代中期頃に国内で綿の栽培が盛んに行われるようになったようです。
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栽培には温暖な土地が好まれ、肥沃な土地でなければならず、栽培にはお金のかかるものだったのです。
ですから、江戸庶民にはなかなか手が出るものではありませんでした。
木綿の着物を古着屋でなんとか手に入れたら、大事に大事に着たのでしょう。
新品の着物なら、車一台分の値段だったとか。
冬はその中に綿を入れて温かくし、夏場は単衣に仕立て直し、繕いをしながら着て、
ボロボロになったら、自分で雑巾やオムツにして最後まで使いきりました。
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「端切れ屋」「古裂れ屋」がやってきて買い取り、切り刻んで端切れにしてまた市場で売られたり、
「灰屋」がやってきて買い取り、燃やして灰にして、田畑の肥料や洗濯、藍染に使うためにまた売られていったり、
木綿が見事に最後まで使い切られていました。
その木綿一枚の着物が綺麗に大地に戻っていくという、大地を豊かにしていくという。
そんな循環型エコシステムを知らぬ間に作り上げていたのです。
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まだまだ大量生産、大量消費の時代の循環ビジネスが構築されている現代・・・。
そう言えば、
私の祖母なども洗い張りも上手、
母も着物仕立てが得意でした。
私たちも、お裁縫ももう一度見直さなくちゃいけませんね。
手元にある着物や帯でのリメイク講座、始めています。
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写真:「綿の実」2枚
賑町笑劇場
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